冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】父、コロナ後遺症から完全復活

疫病に感染して、その後遺症で、

うんうん、うなっていたことは、

さきのブログで書いた通りです。

それで、ワクチンを打っていなかったので、

後遺症のしんどさも、致し方ないと思っていたのですが。

ここ最近の父の様子を見る限り、

どうやら完全復活したようでした。

 

では、どのようにして乗り切っていったのか。

もしも参考になればと思いまして、

書いていこうと思います。

 

まず、父が疫病にかかり、

病院での5日間の入院を終え、

自宅に帰ってからの事です。

顔は黒ずんで、

特に目の周りが、何か塗ったのかと思うほどの黒ずみで、

正直、わが父ながら怖い感じでした。

 

疫病に感染した直後、一時、危篤状態になり、

医師からもう延命治療しかない、

とまで言われていました。

だから、一命はとりとめたものの、

もうあまり期待はせずに、

出来ることをやっていこうと思いました。

 

退院して、自宅に戻ってからの父は、

ほとんどものを食べず、

ほとんど言葉を発せず、

こちらが言ったこともなかなか理解できず、

ぼんやりとした様子でした。

ただひたすら自室で布団にくるまり眠るだけ。

あまりに何も口にしないので、

かかりつけ医の所に行っても、

本人が点滴を拒否するので、それも出来ず。

結局何もしないで帰宅したりしました。

 

また、後遺症の影響が強く出たのは、

トイレでした。

それまでは一人で用足しが出来ていたのに、

それが難しくなりました。

トイレの場所が分からず、

家の中をうろうろしていました。

そして途中であきらめて、

吐き出し窓を開けて、

縁側で用を足したらしい痕跡もありました。

敷き布団と毛布が濡れていたので、

それをきれいにふき取りました。

汚れた毛布をふきながら、

どうして、どうして、という言葉が、

頭の中にグルグル回りました。

 

ワクチンを打っていたら。

ショートステイに行っていなかったら。

ここまでには、ならなかったんじゃないか。

そんな、考えても仕方のないことが、

うっすらと頭の中を覆っているような感じでした。

 

夜間のトイレは、もう、失敗しても仕方がないと腹をくくり、

汚れたら翌朝きれいに拭こうと、

寝ることにしました。

どうせ、夜間は、一回くらいだろうと思ったのです。

そして、昼間はどうにかこうにか、

やっていこうと決めたのです。

 

けれど、昼間は。

トイレの場所を教えてあげられますが、

便器の付近の床が濡れてしまったり、

ということが多く、

それはそれで、後片付けが大変でした。

床にペット用シートや新聞紙を敷いても、

次々に汚すので、

次々に替えなくてはなりません。

だれもしてくれないトイレ仕事。

誰かがしなくてはと思うものの、

それが自分だと、

自分しかする人がいないと、

正直、心がしんどくなりました。

 

疫病の後遺症の父と、

今まさに疫病真っただ中の母と。

二人の老親を見ながら、

頼れるものは自分だけだという、

精神的に過酷な状況においやられました。

遠い昔にこなしてきた、

2歳差の二人娘の時の、

ワンオペ育児にも似た状況でした。

 

「またですか。また人のお世話をするのですか。

そして今回は、終わりが分からないのですか」

 

悲しい気持ちになりました。

それでも誰も変わってはくれません。

仕方なく、せっせ、せっせと、

トイレ掃除に励んでいました。

 

そうして、自分をだましだまし、こなしていった1週間。

もしかしたら、疫病の後遺症で、

認知症がものすごく進み、

私のことなど忘れてしまうのでは、

と思っていたのに、

まったくその兆候がなく、

なんとか踏みとどまっているようでした。

 

ずっと憂鬱な気持ちだった1週間だったのに、

終わってみれば、予想以上の効果を上げていることが分かりました。

それは、こういうことです。

 

一週間の連続した、実家での宿泊で、

まず、父は認知症の進行が止まりました。

それは、入院前の状況まで戻ったということ。

私の事も妹も兄も、そして孫の事も。

何もかもしっかりと、呼びかけるようになりました。

たまに妹と私の名前を間違えるご愛敬はあるものの、

しっかりと名前を呼んでいるのです。

これには驚きました。

 

そばにいて、母ではない誰かに、

優しい声をかけてもらうということが、

笑顔を見せてもらうということが、

こんなにも父の心に響くなんて。

予想だにしなかったことです。

どうしてこんなに効果があるのか。

分かりません。

ただ一つ言えるのは、

嬉しい気持ちは、あらゆるものを、

前進させていくのだろうということ。

 

先日。

母と私が台所で「父に老人ホームに入ってもらった方がいいのか?」

と言う話をしていて、

どうやらそれが聞こえたらしい父が、

私と二人の時に聞いてきました。

 

「わしは、はじかれるんか?(よそに行かなくてはいけないのか?)」

そう言って、心配そうに私の顔を見てきたのです。

「はじかれないよ。

トイレがちゃんとできたら、ここにいられるよ」

そう言って、父を安心させて、

その時は話を終わらせたのです。

 

それからと言うもの。

父のトイレ活動はしっかりした様子でした。

要介護3、認知症が進行している父なのに、

分かっていないだろうと思いながら言った言葉なのに。

父はなぜかトイレを失敗しなくなりました。

もちろん、便器付近にこぼすことはあります。

でも、先日のようにトイレ以外の場所で用を足すことはなくなりました。

 

何を話してもすぐに忘れる、認知症の進行している父なのです。

母が買い物に行っても、

4回も5回も時にそれ以上も、

何度も同じことを聞いてくる父なのです。

それなのに。

トイレをちゃんとしてほしい。

そう一回言っただけなのに。

きちんと約束したかのように、

トイレをするようになったのです。

 

父は、生きているのです。

 

色々なことが出来なくなり、

出来なくなったことを自覚して、

少々悲しんではいるものの。

毎日、毎日、懸命に、

父なりに、生きているのです。

 

そう思うと、もう何も、

後ろ向きなことは考えられなくなります。

生きていきたい人を、ただ、応援する。

それだけなんです。

 

もちろん、周りの人が限界を迎えたなら、

違う形での父への支援になります。

けれど、それまでは、

生かしてあげたいのです。

いえ。

生きていてほしいのです。

 

きれいごとは、あまり、すきじゃない。

そんなのは、机上の空論だと、

いつもの理屈詰めの私なら、

そういうでしょう。

コスパに合わない」と。

 

それでも、いいんです。

コスパに合わない。

上等です。

人生には、そういうものがあってもいいんです。

だって、

人生って、失敗するものだから。

 

失敗して、立ち上がって、

そうして、たまには、ちょっと成功して。

嬉しくなって。

舞い上がって、

また、失敗して。

 

七転び、八起き。

起き上がりこぼしのように。

ぐわん、ぐわんと、揺られながら、

それでもまた起きて、

失敗したねと、

ぐわははっと笑いながら、

そうして生きていくのです。

 

人生は面白いと、

母と二人で顔を見合わせて、

笑い合いながら。

 

なんだか、ポエムのようになりましたが、

たまにはこういうのもありで。

 

明日も素敵な一日になりますように☆