疫病に感染して、その後遺症で、
うんうん、うなっていたことは、
さきのブログで書いた通りです。
それで、ワクチンを打っていなかったので、
後遺症のしんどさも、致し方ないと思っていたのですが。
ここ最近の父の様子を見る限り、
どうやら完全復活したようでした。
では、どのようにして乗り切っていったのか。
もしも参考になればと思いまして、
書いていこうと思います。
まず、父が疫病にかかり、
病院での5日間の入院を終え、
自宅に帰ってからの事です。
顔は黒ずんで、
特に目の周りが、何か塗ったのかと思うほどの黒ずみで、
正直、わが父ながら怖い感じでした。
疫病に感染した直後、一時、危篤状態になり、
医師からもう延命治療しかない、
とまで言われていました。
だから、一命はとりとめたものの、
もうあまり期待はせずに、
出来ることをやっていこうと思いました。
退院して、自宅に戻ってからの父は、
ほとんどものを食べず、
ほとんど言葉を発せず、
こちらが言ったこともなかなか理解できず、
ぼんやりとした様子でした。
ただひたすら自室で布団にくるまり眠るだけ。
あまりに何も口にしないので、
かかりつけ医の所に行っても、
本人が点滴を拒否するので、それも出来ず。
結局何もしないで帰宅したりしました。
また、後遺症の影響が強く出たのは、
トイレでした。
それまでは一人で用足しが出来ていたのに、
それが難しくなりました。
トイレの場所が分からず、
家の中をうろうろしていました。
そして途中であきらめて、
吐き出し窓を開けて、
縁側で用を足したらしい痕跡もありました。
敷き布団と毛布が濡れていたので、
それをきれいにふき取りました。
汚れた毛布をふきながら、
どうして、どうして、という言葉が、
頭の中にグルグル回りました。
ワクチンを打っていたら。
ショートステイに行っていなかったら。
ここまでには、ならなかったんじゃないか。
そんな、考えても仕方のないことが、
うっすらと頭の中を覆っているような感じでした。
夜間のトイレは、もう、失敗しても仕方がないと腹をくくり、
汚れたら翌朝きれいに拭こうと、
寝ることにしました。
どうせ、夜間は、一回くらいだろうと思ったのです。
そして、昼間はどうにかこうにか、
やっていこうと決めたのです。
けれど、昼間は。
トイレの場所を教えてあげられますが、
便器の付近の床が濡れてしまったり、
ということが多く、
それはそれで、後片付けが大変でした。
床にペット用シートや新聞紙を敷いても、
次々に汚すので、
次々に替えなくてはなりません。
だれもしてくれないトイレ仕事。
誰かがしなくてはと思うものの、
それが自分だと、
自分しかする人がいないと、
正直、心がしんどくなりました。
疫病の後遺症の父と、
今まさに疫病真っただ中の母と。
二人の老親を見ながら、
頼れるものは自分だけだという、
精神的に過酷な状況においやられました。
遠い昔にこなしてきた、
2歳差の二人娘の時の、
ワンオペ育児にも似た状況でした。
「またですか。また人のお世話をするのですか。
そして今回は、終わりが分からないのですか」
悲しい気持ちになりました。
それでも誰も変わってはくれません。
仕方なく、せっせ、せっせと、
トイレ掃除に励んでいました。
そうして、自分をだましだまし、こなしていった1週間。
もしかしたら、疫病の後遺症で、
認知症がものすごく進み、
私のことなど忘れてしまうのでは、
と思っていたのに、
まったくその兆候がなく、
なんとか踏みとどまっているようでした。
ずっと憂鬱な気持ちだった1週間だったのに、
終わってみれば、予想以上の効果を上げていることが分かりました。
それは、こういうことです。
一週間の連続した、実家での宿泊で、
まず、父は認知症の進行が止まりました。
それは、入院前の状況まで戻ったということ。
私の事も妹も兄も、そして孫の事も。
何もかもしっかりと、呼びかけるようになりました。
たまに妹と私の名前を間違えるご愛敬はあるものの、
しっかりと名前を呼んでいるのです。
これには驚きました。
そばにいて、母ではない誰かに、
優しい声をかけてもらうということが、
笑顔を見せてもらうということが、
こんなにも父の心に響くなんて。
予想だにしなかったことです。
どうしてこんなに効果があるのか。
分かりません。
ただ一つ言えるのは、
嬉しい気持ちは、あらゆるものを、
前進させていくのだろうということ。
先日。
母と私が台所で「父に老人ホームに入ってもらった方がいいのか?」
と言う話をしていて、
どうやらそれが聞こえたらしい父が、
私と二人の時に聞いてきました。
「わしは、はじかれるんか?(よそに行かなくてはいけないのか?)」
そう言って、心配そうに私の顔を見てきたのです。
「はじかれないよ。
トイレがちゃんとできたら、ここにいられるよ」
そう言って、父を安心させて、
その時は話を終わらせたのです。
それからと言うもの。
父のトイレ活動はしっかりした様子でした。
要介護3、認知症が進行している父なのに、
分かっていないだろうと思いながら言った言葉なのに。
父はなぜかトイレを失敗しなくなりました。
もちろん、便器付近にこぼすことはあります。
でも、先日のようにトイレ以外の場所で用を足すことはなくなりました。
何を話してもすぐに忘れる、認知症の進行している父なのです。
母が買い物に行っても、
4回も5回も時にそれ以上も、
何度も同じことを聞いてくる父なのです。
それなのに。
トイレをちゃんとしてほしい。
そう一回言っただけなのに。
きちんと約束したかのように、
トイレをするようになったのです。
父は、生きているのです。
色々なことが出来なくなり、
出来なくなったことを自覚して、
少々悲しんではいるものの。
毎日、毎日、懸命に、
父なりに、生きているのです。
そう思うと、もう何も、
後ろ向きなことは考えられなくなります。
生きていきたい人を、ただ、応援する。
それだけなんです。
もちろん、周りの人が限界を迎えたなら、
違う形での父への支援になります。
けれど、それまでは、
生かしてあげたいのです。
いえ。
生きていてほしいのです。
きれいごとは、あまり、すきじゃない。
そんなのは、机上の空論だと、
いつもの理屈詰めの私なら、
そういうでしょう。
「コスパに合わない」と。
それでも、いいんです。
コスパに合わない。
上等です。
人生には、そういうものがあってもいいんです。
だって、
人生って、失敗するものだから。
失敗して、立ち上がって、
そうして、たまには、ちょっと成功して。
嬉しくなって。
舞い上がって、
また、失敗して。
七転び、八起き。
起き上がりこぼしのように。
ぐわん、ぐわんと、揺られながら、
それでもまた起きて、
失敗したねと、
ぐわははっと笑いながら、
そうして生きていくのです。
人生は面白いと、
母と二人で顔を見合わせて、
笑い合いながら。
なんだか、ポエムのようになりましたが、
たまにはこういうのもありで。
明日も素敵な一日になりますように☆