冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

実家の御用聞き

 

こんにちは、冬菜かしこです。

今日は空気が少し冷たさを感じるものの、気持ちの良い日差しが差し込んでいます。

 

おとといの火曜日に、久しぶりに実家のお世話に行ってきました。

前日の月曜日に「明日行くからね」と言った時、

「腰の調子が悪いんだから、いいのに」と言いつつ、

「じゃあ何かしてもらうことを考えておくわー」と言っていたので、

少し気楽に行けました。

いつもは遠慮して「来なくていい」とはっきり言う母です。

来てもいいよ、は気兼ねがなくて助かります。

弱音を見せない人には、こちらもなかなかに、

気を遣うものなのです。

 

火曜日の朝、前日の「小学校の生け花ボランティア」で頂いたお花を持って、

電車に乗り込みました。

今回は少々頭を使って、お花がしおれないようにと、

弱そうなお花は、水を入れたペットボトルにさして、

かさばるけど強い小菊などは、

湿ったペーパータオルとサランラップで切り口を包んで、

それらを新聞紙にくるんで持って行きました。

これはなかなか功を奏して、実家まで2時間ほどかかるのですが、

着いてもお花は元気いっぱいでいてくれました。

 

最近は父が週6日もデイサービスに行っているので、

おそらく母は暇だろうと思いました。

そこでいつもよりも多めにお花を持って行き、

生け花経験者の母に、花瓶に花を生けてもらおうと思いました。

大きい花瓶はあるものの、小さい花瓶は、

インスタントコーヒーの瓶で代用している母です。

ちょっと味気ないので、100円ショップで小ぶりな花瓶を2個ほど選び、

実家の台所の出窓と、トイレ用にしてもらおうと買い求めました。

 

実家について母に「花瓶に生けて」と花材を見せると、

花好きな母はやはり、ちょっとうれしそうに、張り切った様子を見せていました。

「どこでする?」と聞くので、

「台所のテーブルの上がいいんじゃない?椅子に座ってできるし」

と言うと、

じゃあ、と言って今のベットから起きだし、

台所へと移しました。

座ってできるし、と言ってあげても、なんだかんだと、

母は立って生け始めました。

真正面から見て、生けて、直して、横から見て、生けて、納得して。

やはりこっちがいいと、別の花瓶に生け直して。

「ここを少し、切って」と頼んでくるので、切ってあげて。

あちらから、こちらから。

色味を見て、高さを見て、バランスを見て、長持ちするかを考えて。

母は嬉しそうに生けていきました。

 

生け終わり、台所の出窓に飾ったお花を見て、

「やっぱり、紫はいいなあ」と悦に入っていて、

母の好きな紫のお花を持ってきて良かったと思いました。

玄関には、目を引く大ぶりのカーネーションの花瓶を置き、

いかにもおもてなしの雰囲気を醸し出しています。

トイレはちょっと控えめに、小菊をさしているくらいですが、

何もなかった時よりはいいと思っています。

お花を飾ることで、家の中が少し華やいだようで、

母と私は気持ちがほっこりできました。

 

お花を飾った後は、いつものお茶タイムでした。

母も私もいろいろ話をしたいタイプなので、

近況や提案や困りごとをおしゃべりしました。

なんでもない話をするだけで、

今の母の事がよく分かり、来てよかったと思えます。

口数が減った母は、やはり、父が週6日デイサービスに行っているので、

退屈しているのでしょう。

それでも。

父がトイレを失敗することが増えてきた、と嘆いているので、

父の不在で助かっている部分もあるのでしょう。

退院して3週間が過ぎ、本当なら体もだいぶ楽になってくる頃なのに、

「体が治ってきたとき、少し無理をして、また背中が痛くなったんよ。

リハビリに行かないといけない」

と言っていて、やはり自宅にいれば、なんやかんやと無理をしてしまうので、

この辺りが「老々介護の限界」かなと言う気もしています。

 

兄は「父に紙おむつを履いてもらったら?」と言い、

母も少し考えているようです。

でも。

私はもう、「特養に申し込んで、空きが出たら入所してもらう」

ということを考えています。

先日、夜に母が二階でテレビを観ている時、

父は外へ出ようとしたそうです。

今回はなんとか外へ出ないで済みましたが、

いつ何があるか分かりません。

父の認知症介護で、母の健康が損なわれるのは見るに堪えません。

 

本当は、何が正解で、何が良い行動なのか、

誰かに教えてほしいのです。

自分で決断するには、親の介護はあまりにも、心の負担が大きいのです。

それでも、一つ一つ解決していくしかありません。

それが100点満点ではないにしても、

まわりが「まあまあ納得」できるのであれば、

誰かが声をあげていかなくてはいけないのだと思います。

 

自分の決断は、とても怖いです。

もしかしたら、のちのち、間違っていたかもしれない、

と後悔するかもしれないからです。

けれども、だからと言って、今の現状から逃げて、

見なかったことにして、やりすごして、

最終的に行き詰ってしまうのはしのびない。

今ならば、まだ間に合う。

父も母も、私達子供達も。

今なら心が鬼になる前に、いろいろな決断ができる、と思ったりするのです。

 

きれいごとじゃない。

だからこそ介護は難しい。

でも、最悪なことばかりじゃない。

それもまた、介護なのだと思います。

泣きたい気持ちを抱えて、それでも顔をあげて。

ひとつ、ひとつ。

足元を確かめながら、歩いていきたいと思います。

 

明日も良い一日になりますように☆