こんにちは、冬菜かしこです。
今日は空気が少し冷たさを感じるものの、気持ちの良い日差しが差し込んでいます。
おとといの火曜日に、久しぶりに実家のお世話に行ってきました。
前日の月曜日に「明日行くからね」と言った時、
「腰の調子が悪いんだから、いいのに」と言いつつ、
「じゃあ何かしてもらうことを考えておくわー」と言っていたので、
少し気楽に行けました。
いつもは遠慮して「来なくていい」とはっきり言う母です。
来てもいいよ、は気兼ねがなくて助かります。
弱音を見せない人には、こちらもなかなかに、
気を遣うものなのです。
火曜日の朝、前日の「小学校の生け花ボランティア」で頂いたお花を持って、
電車に乗り込みました。
今回は少々頭を使って、お花がしおれないようにと、
弱そうなお花は、水を入れたペットボトルにさして、
かさばるけど強い小菊などは、
湿ったペーパータオルとサランラップで切り口を包んで、
それらを新聞紙にくるんで持って行きました。
これはなかなか功を奏して、実家まで2時間ほどかかるのですが、
着いてもお花は元気いっぱいでいてくれました。
最近は父が週6日もデイサービスに行っているので、
おそらく母は暇だろうと思いました。
そこでいつもよりも多めにお花を持って行き、
生け花経験者の母に、花瓶に花を生けてもらおうと思いました。
大きい花瓶はあるものの、小さい花瓶は、
インスタントコーヒーの瓶で代用している母です。
ちょっと味気ないので、100円ショップで小ぶりな花瓶を2個ほど選び、
実家の台所の出窓と、トイレ用にしてもらおうと買い求めました。
実家について母に「花瓶に生けて」と花材を見せると、
花好きな母はやはり、ちょっとうれしそうに、張り切った様子を見せていました。
「どこでする?」と聞くので、
「台所のテーブルの上がいいんじゃない?椅子に座ってできるし」
と言うと、
じゃあ、と言って今のベットから起きだし、
台所へと移しました。
座ってできるし、と言ってあげても、なんだかんだと、
母は立って生け始めました。
真正面から見て、生けて、直して、横から見て、生けて、納得して。
やはりこっちがいいと、別の花瓶に生け直して。
「ここを少し、切って」と頼んでくるので、切ってあげて。
あちらから、こちらから。
色味を見て、高さを見て、バランスを見て、長持ちするかを考えて。
母は嬉しそうに生けていきました。
生け終わり、台所の出窓に飾ったお花を見て、
「やっぱり、紫はいいなあ」と悦に入っていて、
母の好きな紫のお花を持ってきて良かったと思いました。
玄関には、目を引く大ぶりのカーネーションの花瓶を置き、
いかにもおもてなしの雰囲気を醸し出しています。
トイレはちょっと控えめに、小菊をさしているくらいですが、
何もなかった時よりはいいと思っています。
お花を飾ることで、家の中が少し華やいだようで、
母と私は気持ちがほっこりできました。
お花を飾った後は、いつものお茶タイムでした。
母も私もいろいろ話をしたいタイプなので、
近況や提案や困りごとをおしゃべりしました。
なんでもない話をするだけで、
今の母の事がよく分かり、来てよかったと思えます。
口数が減った母は、やはり、父が週6日デイサービスに行っているので、
退屈しているのでしょう。
それでも。
父がトイレを失敗することが増えてきた、と嘆いているので、
父の不在で助かっている部分もあるのでしょう。
退院して3週間が過ぎ、本当なら体もだいぶ楽になってくる頃なのに、
「体が治ってきたとき、少し無理をして、また背中が痛くなったんよ。
リハビリに行かないといけない」
と言っていて、やはり自宅にいれば、なんやかんやと無理をしてしまうので、
この辺りが「老々介護の限界」かなと言う気もしています。
兄は「父に紙おむつを履いてもらったら?」と言い、
母も少し考えているようです。
でも。
私はもう、「特養に申し込んで、空きが出たら入所してもらう」
ということを考えています。
先日、夜に母が二階でテレビを観ている時、
父は外へ出ようとしたそうです。
今回はなんとか外へ出ないで済みましたが、
いつ何があるか分かりません。
父の認知症介護で、母の健康が損なわれるのは見るに堪えません。
本当は、何が正解で、何が良い行動なのか、
誰かに教えてほしいのです。
自分で決断するには、親の介護はあまりにも、心の負担が大きいのです。
それでも、一つ一つ解決していくしかありません。
それが100点満点ではないにしても、
まわりが「まあまあ納得」できるのであれば、
誰かが声をあげていかなくてはいけないのだと思います。
自分の決断は、とても怖いです。
もしかしたら、のちのち、間違っていたかもしれない、
と後悔するかもしれないからです。
けれども、だからと言って、今の現状から逃げて、
見なかったことにして、やりすごして、
最終的に行き詰ってしまうのはしのびない。
今ならば、まだ間に合う。
父も母も、私達子供達も。
今なら心が鬼になる前に、いろいろな決断ができる、と思ったりするのです。
きれいごとじゃない。
だからこそ介護は難しい。
でも、最悪なことばかりじゃない。
それもまた、介護なのだと思います。
泣きたい気持ちを抱えて、それでも顔をあげて。
ひとつ、ひとつ。
足元を確かめながら、歩いていきたいと思います。
明日も良い一日になりますように☆