冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】母の望み

年末に向けて、金曜日のイベントが増え、

結局、週ごとの実家帰省は、火曜日に変更した。

 

金曜日はデイサービスが無いので、

父と母と私とで、のんびりお茶などして、

おしゃべりしたりしている。

たわいのない話に、時間がゆっくりと過ぎて、

それほど役立っているとは思ってはいなかったのに、

それはわりと役に立っていたようである。

 

火曜日は朝10時頃から、父はショートステイに出かける。

どんなに努力しても、私の実家帰省時間は9時30分を過ぎる。

だから父とは、「来たよー」とか、「ショート行くよー」とか、

そんな感じで終わっていた。

だからだろう。

先日は父がさみしそうに、

「もう、来ないのか。また、来るのか」

と聞いてきた。

「すぐ来るよ。来週も火曜日に来る」

とあわてて安心する言葉をかけるも、

力なく、施設の車に乗り込む父。

窓が閉まった後も、手を振る私に、

顔を向けることもなく、父は出かけて行った。

 

「やはり、金曜日なのか」

苦渋の選択で、火曜日の帰省にしたものの、

やはり父は短時間ではコミュニケーションが足りず、

イライラしたり、力がない顔をしたり、

そうなってしまうようである。

年明けの1月からは、また金曜日に行こうと、

自分自身に決意表明をした。

 

そして、母はと言うと。

私が帰省するなり、父の愚痴のオンパレードである。

どうやら、父がご機嫌斜めだったようで、

母につらく当たるそう。

しかし母も、母で、

「ヘルパーさんが来たら、どうしてもお父さんの愚痴になるの。

そして、この前は、施設に入ってほしいと、愚痴を言ってしまって。

聞かれていたのかもしれないなー」

とため息をついていた。

それは、まずいでしょう。

とは思うものの、母のしんどさが分かるだけに、

励ます言葉しかかけられなかった。

 

そうして、励ましの一環として、

「お父さんには、週4日くらいショート行ってもらって、

その間は、うちに来ればいいんじゃない?

一緒に住む方が、経済的だし」

と言ってみたものの、

母はあまり乗り気ではなかった。

「同居とか、いやなのよ」

そういうので、

「同居じゃなくて、週の内、何日かはうちに泊まるってこと」

と訂正するも、

「あちこち行くと、疲れるし。

だいいち、近所の友達と会えなくなるのは嫌なの」

だそうだ。

 

それは、高齢者にはよくある話。

どうしたって、年を取ると、

新しい場所より、慣れ親しんだ場所の方が住みやすいってもの。

若者のように、明日から海外でも平気、などと、

適応するには、後期高齢者は頭がかたくなりすぎているのだ。

 

分かっている。

分かっているけど。

そこで引き下がるわけにはいかない。

今の母の疲れ具合を見れば、

それが、

放っておいていいものか、よくないものか、

容易に想像がつく。

決して、放ってはいけないものだ。

 

お喋りも以前ほど出来ず、

洋服も無頓着になりつつあり、

買い物にも興味がなくなりつつある。

これはまた、以前のような、

介護うつ状態のようである。

決して、放っては置けないのである。

 

兄も妹も、気が向いたら、実家に来て、

母の面倒をみてくれる。

それはとてもありがたい。

頼むとしてくれるし、

自分たちにできることはしてくれようとする。

 

しかし。

それは「きまぐれ介護」の域を出ない。

母の様子を注視して、父の様子を観察して、

今何が必要なのか、

吟味して提供する。

細かい変化に気づく。

ということは、ないのである。

 

私はある意味、「実家の介護は仕事」だと、

そういうふうに思っている。

そうしないと母の事も父の事も、

守れないと思っているのである。

責任をもって、毎週お世話に行く。

そうして、わずかな変化を見逃さない。

もしも自分が高齢者になったとしたら、

周りの人に、自分の存在価値を、分かってほしい。

だから今、私は母に会いに行っているのかもしれない。

 

年末年始は、次女がおばあちゃんの家に行きたい、

と言っている。

晦日におばあちゃんの家で、

年越しをしたいそうである。

それは「おばあちゃんちなら、夜12時まで起きていてもいいから」

という子供らしい発想もあるようだが、

要するに、おばあちゃんが好きなのである。

 

「おばあちゃんは、お母さんみたいに怒らないから」

そんな風に言われると、

「それでこそ、おばあちゃんの存在意義だ」

と思い、うれしくなるのである。

私も通った、祖父母との思い出の日々。

それを次女が感じてくれていることに、

安心感を覚えるのである。

 

周りのママさん達より、一回り以上も年上の私。

どうしたって、おばあちゃん、おじいちゃんも、

年を取りまくっている。

次女の周りには、祖父母が80歳前後など、

ほとんどいないのであろう。

申し訳ない。

それでも、母が頑張ってくれているから、

支えていきたいと思うのである。

 

どんなに体が不自由になっても、

自宅で過ごしたいという母。

年末年始も、出来るだけ、自宅で過ごしたいという母。

それが母の望みなら、

それを叶えてあげられるよう、

私がしっかりと考えていくまでだ。

 

ひとまず。

「次女がおばあちゃんと年越ししたいってさ」

と母に言うと、

「まあっ!」

とうっれしそうに、あははと笑っていたので、

それは実現できそうな気がしている。

 

母と父との年越し。

出来るなら、いつまでも。

と思っている娘の私なのである。