冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】父、疫病からの奇跡の復活

前夜の寝不足の為、寝室で横になっていた私のもとに、

一本の電話が入った。

それは、父が今日から泊っているはずの、

ショートステイ先から。

「お父さんが、疫病にかかられました。

まだ簡易検査の段階での陽性ですが、

これから病院に行って正確な検査を受けてください。

今は熱が37度以上あり、しんどそうです。

まずは、自宅に戻って頂きたいです」

とのことだ。

どうやら、自宅にいるはずの母と、

電話がつながらなくて、

私にかかってきた様子。

とにかく了承して、

実家の母に電話した。

 

ほどなく電話に出た母は、

妹との長電話をしていたそう。

ひとまず、自宅にいてくれたことに安堵した。

母に、父の疫病の陽性のことを話し、

ショートステイ先に電話するようにお願いし、

妹に手伝ってもらったらどうかと話した。

本当は私がいけばいいのだけれど、

もし私が疫病にかかり、二人娘に伝染してはいけないと思い、

妹にお願いするようにした。

母は了承して、そのまま電話を切った。

 

しばらくして、夕方頃、今度は大学病院から電話が入った。

どうやら父の具合が悪く、

救急車で緊急搬送されたとのこと。

母と妹には話をしたらしいのだが、

取り乱していて、私の所に電話してきたそうだ。

話の内容は、思いがけないものだった。

「お父さん、具合が悪く、今はベットで酸素を送って呼吸している。

高熱が続いていて、ぐったりしている」

とのことだ。

そして、

「お母さんと妹さんにはお話したのですが、

同じお話をします。

お父様は年齢も高齢ですし、この段階で、

延命治療をするかどうかを決めてください。

ただし、一度延命治療を始めたら、

お父様が苦しくなっても、装置を外すことはできません。

それをよく考えて、決めてください」

とのことだった。

 

これは、義父の時と同じだ。

義父は85歳でしたが、延命措置をした。

でも延命措置のかいなく、ほどなく他界したのだ。

そして、今、実の父親が同じことを迫られている。

母と妹が延命治療を望んでいないなら、

私も同意しようと思った。

ただ、直ちにそれを決めるには、

私はあまりに弱すぎる。

だから、医師には「兄に決めてもらって下さい」

と伝えた。

「母も妹も、そして私も、延命治療を望まないけれど、

最後は兄に聞いて、決めてください。

決断を下すのは、私には無理です」と。

医師は納得し、兄の電話番号を聞いて、話は終わった。

受話器を置いた私はまるで、

ぬけがらのように、何も考えられなくなった。

 

どうやって夕食を作ったのか。

はたして風呂には入ったのか。

デザートのぶどうを2粒食べたのは覚えているけれど、

その時どんな番組を視聴していたのか、

まるで覚えていない。

ただ、ぶどうを食べた後、フラフラとパソコンに向かい、

この「親孝行ブログ」の父親との思い出の記事を、

ひたすら読んでいたのを思い出す。

 

こんなにも、少なかったのか。

そう思った。

頑張って書いていたつもりなのに、

親孝行ブログとは、こんなにも少なかったのかと、

愕然とした。

それは、きっと。

これからも両親が長生きしてくれるだろうと、

だからまだまだブログの記事が増えるだろうからと、

高をくくっていた私の慢心が招いたのだと思った。

 

10日前に、家族で実家に行って、

主人と二人娘と母とで、

近くのショッピングセンターに買い物に出かけた。

私は父とお留守番で、

いろいろとおしゃべりをしたのだ。

皆が昼食を食べている時に寝ていた父は、

みんなが買い物に出かけた後、

私と二人の時に、一人遅れて、

昼食のちらしずしを食べたのだ。

最近は食欲が落ちていると聞いていたけれど、

孫に会ったうれしさからか、

一人前の寿司をぺろりと完食して、

私を喜ばせたのだ。

あんなに、元気だったのに、と。

食欲もあったのに、と。

 

そしてそのあと、2階にあがり、

家族写真のアルバムを開いた。

父と最後に出かけた地元のバラ園の写真を見ながら、

孫と最後に出かけてうれしそうな父を見ながら、

涙が止まらなかった。

どうして、こんなに早くにお別れになったのだろうと。

あんなに、体が丈夫なことが取り柄だったはずじゃないかと。

こんなに急にいなくなるなんて、聞いていないよと。

あまりにも大きな存在がいなくなることが怖くて、

自分が今、果たしてきちんと息をしているのかさえ分からないほど、

自分で自分が分からなった。

 

どうして。

どうして、いま。

つい最近、祖母を亡くしたばかりなのに。

続けていなくなるなんて、辛すぎるよと。

自分の事なのに、自分の事じゃないように、

何が何だかわからなくて、

ただただ、流れる涙を手で拭う事しかできなかった。

 

そのあと、次女が、「一緒に寝よう」と言ってきて、

一緒に寝室に行った。

眠れないだろうと思っていたら、

主人がやってきて、「お母さんから電話だよ」と言った。

「いよいよか」

と覚悟を決めて受話器を取ると、

母が涙声でもなく、少し疲れたようではあるけれど、

普通の様子で話し始めた。

 

「お父さん、病院を移ったんだけど。

紙おむつを履かせようとしたら、

看護師さんの足をけっとばしたんだって」

 

えっ、、、?

なに、、、?

紙おむつ、、、?

看護師さんをけっとばした、、、?

 

だれが、、、?

父が、、、?

けっとばした、、、?

 

はっ、、、?

何言ってんの、、、?

疫病で、高熱で、危篤なんですよね、、、?

 

だって、医師がさっき、危篤だから覚悟してくださいって、、、。

僕の家族だとしても、これはもう、無理だと伝えるって、、、。

国立病院においてはおけないから、転院してもらうけど、

これからどんどん弱っていくだろうって、、、。

 

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

えっ、

えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

なんですのーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?

これ、

なんですのよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?

 

新手のドッキリなんですか?

私ひっかかったんですか?

最初から全部ウソだったんですか?

 

うそですやんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

私の流した涙、

かえしてーなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

翌日、母から電話があり、

いまだ、病院からは、

「危篤です」

の連絡はないそう。

そればかりか、

「あんまり暴れたら、5日間の待機期間中でも、

自宅に帰ってもらいます!って、言われてるのよ」

などと言われた。

 

あばれるって。

何?

 

母いわく、

「はじめは確かに、高熱でぐったりして、

酸素を送って息をしていたけど、

点滴を打ったら、栄養が届いて、

元気になったらしいのよ」

とのことだ。

 

実家の父、80歳。

山奥の、大自然育ち。

趣味は釣り。

好きなものは、猫と、孫と、こたつ。

 

まだまだ、生命力にあふれた、

元気なおじいちゃんだ!