前夜の寝不足の為、寝室で横になっていた私のもとに、
一本の電話が入った。
それは、父が今日から泊っているはずの、
ショートステイ先から。
「お父さんが、疫病にかかられました。
まだ簡易検査の段階での陽性ですが、
これから病院に行って正確な検査を受けてください。
今は熱が37度以上あり、しんどそうです。
まずは、自宅に戻って頂きたいです」
とのことだ。
どうやら、自宅にいるはずの母と、
電話がつながらなくて、
私にかかってきた様子。
とにかく了承して、
実家の母に電話した。
ほどなく電話に出た母は、
妹との長電話をしていたそう。
ひとまず、自宅にいてくれたことに安堵した。
母に、父の疫病の陽性のことを話し、
ショートステイ先に電話するようにお願いし、
妹に手伝ってもらったらどうかと話した。
本当は私がいけばいいのだけれど、
もし私が疫病にかかり、二人娘に伝染してはいけないと思い、
妹にお願いするようにした。
母は了承して、そのまま電話を切った。
しばらくして、夕方頃、今度は大学病院から電話が入った。
どうやら父の具合が悪く、
救急車で緊急搬送されたとのこと。
母と妹には話をしたらしいのだが、
取り乱していて、私の所に電話してきたそうだ。
話の内容は、思いがけないものだった。
「お父さん、具合が悪く、今はベットで酸素を送って呼吸している。
高熱が続いていて、ぐったりしている」
とのことだ。
そして、
「お母さんと妹さんにはお話したのですが、
同じお話をします。
お父様は年齢も高齢ですし、この段階で、
延命治療をするかどうかを決めてください。
ただし、一度延命治療を始めたら、
お父様が苦しくなっても、装置を外すことはできません。
それをよく考えて、決めてください」
とのことだった。
これは、義父の時と同じだ。
義父は85歳でしたが、延命措置をした。
でも延命措置のかいなく、ほどなく他界したのだ。
そして、今、実の父親が同じことを迫られている。
母と妹が延命治療を望んでいないなら、
私も同意しようと思った。
ただ、直ちにそれを決めるには、
私はあまりに弱すぎる。
だから、医師には「兄に決めてもらって下さい」
と伝えた。
「母も妹も、そして私も、延命治療を望まないけれど、
最後は兄に聞いて、決めてください。
決断を下すのは、私には無理です」と。
医師は納得し、兄の電話番号を聞いて、話は終わった。
受話器を置いた私はまるで、
ぬけがらのように、何も考えられなくなった。
どうやって夕食を作ったのか。
はたして風呂には入ったのか。
デザートのぶどうを2粒食べたのは覚えているけれど、
その時どんな番組を視聴していたのか、
まるで覚えていない。
ただ、ぶどうを食べた後、フラフラとパソコンに向かい、
この「親孝行ブログ」の父親との思い出の記事を、
ひたすら読んでいたのを思い出す。
こんなにも、少なかったのか。
そう思った。
頑張って書いていたつもりなのに、
親孝行ブログとは、こんなにも少なかったのかと、
愕然とした。
それは、きっと。
これからも両親が長生きしてくれるだろうと、
だからまだまだブログの記事が増えるだろうからと、
高をくくっていた私の慢心が招いたのだと思った。
10日前に、家族で実家に行って、
主人と二人娘と母とで、
近くのショッピングセンターに買い物に出かけた。
私は父とお留守番で、
いろいろとおしゃべりをしたのだ。
皆が昼食を食べている時に寝ていた父は、
みんなが買い物に出かけた後、
私と二人の時に、一人遅れて、
昼食のちらしずしを食べたのだ。
最近は食欲が落ちていると聞いていたけれど、
孫に会ったうれしさからか、
一人前の寿司をぺろりと完食して、
私を喜ばせたのだ。
あんなに、元気だったのに、と。
食欲もあったのに、と。
そしてそのあと、2階にあがり、
家族写真のアルバムを開いた。
父と最後に出かけた地元のバラ園の写真を見ながら、
孫と最後に出かけてうれしそうな父を見ながら、
涙が止まらなかった。
どうして、こんなに早くにお別れになったのだろうと。
あんなに、体が丈夫なことが取り柄だったはずじゃないかと。
こんなに急にいなくなるなんて、聞いていないよと。
あまりにも大きな存在がいなくなることが怖くて、
自分が今、果たしてきちんと息をしているのかさえ分からないほど、
自分で自分が分からなった。
どうして。
どうして、いま。
つい最近、祖母を亡くしたばかりなのに。
続けていなくなるなんて、辛すぎるよと。
自分の事なのに、自分の事じゃないように、
何が何だかわからなくて、
ただただ、流れる涙を手で拭う事しかできなかった。
そのあと、次女が、「一緒に寝よう」と言ってきて、
一緒に寝室に行った。
眠れないだろうと思っていたら、
主人がやってきて、「お母さんから電話だよ」と言った。
「いよいよか」
と覚悟を決めて受話器を取ると、
母が涙声でもなく、少し疲れたようではあるけれど、
普通の様子で話し始めた。
「お父さん、病院を移ったんだけど。
紙おむつを履かせようとしたら、
看護師さんの足をけっとばしたんだって」
えっ、、、?
なに、、、?
紙おむつ、、、?
看護師さんをけっとばした、、、?
だれが、、、?
父が、、、?
けっとばした、、、?
はっ、、、?
何言ってんの、、、?
疫病で、高熱で、危篤なんですよね、、、?
だって、医師がさっき、危篤だから覚悟してくださいって、、、。
僕の家族だとしても、これはもう、無理だと伝えるって、、、。
国立病院においてはおけないから、転院してもらうけど、
これからどんどん弱っていくだろうって、、、。
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
えっ、
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
なんですのーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?
これ、
なんですのよーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?
新手のドッキリなんですか?
私ひっかかったんですか?
最初から全部ウソだったんですか?
うそですやんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
私の流した涙、
かえしてーなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
翌日、母から電話があり、
いまだ、病院からは、
「危篤です」
の連絡はないそう。
そればかりか、
「あんまり暴れたら、5日間の待機期間中でも、
自宅に帰ってもらいます!って、言われてるのよ」
などと言われた。
あばれるって。
何?
母いわく、
「はじめは確かに、高熱でぐったりして、
酸素を送って息をしていたけど、
点滴を打ったら、栄養が届いて、
元気になったらしいのよ」
とのことだ。
実家の父、80歳。
山奥の、大自然育ち。
趣味は釣り。
好きなものは、猫と、孫と、こたつ。
まだまだ、生命力にあふれた、
元気なおじいちゃんだ!