冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】認知症の父の言葉

要介護3で認知症の父は、

なぜか自分の悪口だけは理解する。

不思議な力を持っている。

 

日頃は、認知症らしく、

朝ごはんをたべたかどうか、

一日になんかいも聞いてくるのである。

私が見た限りでも、午前中だけで、

5、6回以上は聞いてくる。

 

最初の1、2回目は、こちらも

「朝ごはんは食べたよー」

と和やかに対応するのだが。

4回5回となってくると、

だんだんうんざりとしてくる。

 

認知症が進んでいるので、

本人はいたって大真面目に聞いてくる。

だから、悪気があって言ってはいない。

しかし何度も繰り返されると、

「そんなに何回も聞かないでくれ」

と思ってしまう。

要するに疲れるのである。

 

だからそういう時には、

ただひたすら、

「もう食べたよー」

と返事をする。

すると、

「そうか、食べたかー」

とその瞬間だけは理解して、

父は自室に帰ってくれる。

やれやれである。

 

そんな父が、なぜか突然、

認知症患者でなくなる時がある。

それはいつかというと、

「父の悪口を言っているのを聞いた時だけ」である。

なぜか、話の内容を正確に理解して、

話に来るのである。

 

例えば、母が介護疲れで、

「もう疲れたから、お父さんを老人ホームにいれたいのよ」

などと愚痴をこぼすと。

台所から、居間を挟んだ自室の部屋にいる父が、

なぜかそれを聞いていて、

私と二人きりの時に、聞いてくるのだ。

「わしは、外されるんか?」と。

 

「そんなことないよ。

ずっとここ(実家)にいていいよ」

と私があわてて訂正すると、

落ち着いた様子をみせて、安堵する。

 

更に。

「でも、トイレが出来なくなったら、

ここ(実家)には、いられないよ。

私達、トイレのお世話は出来ないから」

と言うと、

その後は、トイレ以外で用を足すことはしなくなった。

 

「本当に理解していたの?」

と信じられない気持ちになったし、

なにより、

ずっとそれを覚えていることに関して、

「そんなに、長い間、覚えていられるの?」

と不思議でならないのだ。

 

まだらぼけ、という言葉があるが、

こういうことなんだろうかと、

思ったりもしている。

それを母に伝えると、

「昔っから地獄耳だったからね」

とはははと笑っていた。

 

そして、不思議現象はまだ続いた。

それは母と口げんかをした時のこと。

 

いつになくヒートアップして、

ケアマネさんを挟んで延々と言い合った後。

私は少し傷心していた。

なぜなら「無理してこなくていい」

とまたもや、

「私の帰省は大して役に立っていない」

発言が出たからである。

 

半年前もそれで大喧嘩して、

怒ってストライキをしたばかりである。

それを言わない約束をして、

話をつけていたはずである。

しかし母はそれを忘れて、

またうっかりと言ってしまったのである。

 

それは、私の地雷。

絶対に踏んではいけないやつ。

それを思いっきり踏んだので、

どっかーんとなったのだ。

 

母と衝突して、

母の用意した昼食を断って、

ぼんやり一人で窓の外を見た。

 

次女が山の学校に行っていて、

いつもより2時間も早い下校なのである。

それを無理して実家に来たのに、

この扱いである。

私は憤慨した。

そして窓の外の曇り空は、

自分の心の中のようで、

見ていて辛かった。

 

そんな私の肩を、

ぽんぽんと優しくたたく人がいた。

誰あろう、要介護3認知症の父だった。

振りむいた私はきっと、

頬が濡れていたのだろう。

父は心配そうに、

でも優しそうに言ってくれた。

 

「どしたん?無理せられなよ」

とても認知症とは思えない、

しっかりとした励ましの言葉であった。

そして続けて、

「この人が一番優しい」

とにっこりと笑ったのである。

 

母との会話をまた、

聞いていたのだろうか。

「お父さんが長生きしたら、

お金がかかって仕方ないわね」

などととため息をついた母を、

「そんなこと言うもんじゃない」

とたしなめた、

私たちの会話を、

聞いていたのだろうか。

そして、理解していたのだろうか。

 

分からない。

認知症患者がどこまで理解できるのか分からない。

 

ただ一つ言えるのは、

父は自分にとって良いことと、悪いことは、

瞬時に分かってしまうだろうこと。

それは父にとってうれしいことなのだろうか。

悲しいことなのだろうか。

私には分からない。

少なくとも、私にとっては、

会話が出来るというのは、

やはりうれしいものなのである。

 

どこまで本当に分かっているのか、

それは未知数であるが。

しかし。

認知症患者、あなどるなかれ、

と肝に銘じた一日であった。