年末に向けて、金曜日のイベントが増え、
結局、週ごとの実家帰省は、火曜日に変更した。
金曜日はデイサービスが無いので、
父と母と私とで、のんびりお茶などして、
おしゃべりしたりしている。
たわいのない話に、時間がゆっくりと過ぎて、
それほど役立っているとは思ってはいなかったのに、
それはわりと役に立っていたようである。
火曜日は朝10時頃から、父はショートステイに出かける。
どんなに努力しても、私の実家帰省時間は9時30分を過ぎる。
だから父とは、「来たよー」とか、「ショート行くよー」とか、
そんな感じで終わっていた。
だからだろう。
先日は父がさみしそうに、
「もう、来ないのか。また、来るのか」
と聞いてきた。
「すぐ来るよ。来週も火曜日に来る」
とあわてて安心する言葉をかけるも、
力なく、施設の車に乗り込む父。
窓が閉まった後も、手を振る私に、
顔を向けることもなく、父は出かけて行った。
「やはり、金曜日なのか」
苦渋の選択で、火曜日の帰省にしたものの、
やはり父は短時間ではコミュニケーションが足りず、
イライラしたり、力がない顔をしたり、
そうなってしまうようである。
年明けの1月からは、また金曜日に行こうと、
自分自身に決意表明をした。
そして、母はと言うと。
私が帰省するなり、父の愚痴のオンパレードである。
どうやら、父がご機嫌斜めだったようで、
母につらく当たるそう。
しかし母も、母で、
「ヘルパーさんが来たら、どうしてもお父さんの愚痴になるの。
そして、この前は、施設に入ってほしいと、愚痴を言ってしまって。
聞かれていたのかもしれないなー」
とため息をついていた。
それは、まずいでしょう。
とは思うものの、母のしんどさが分かるだけに、
励ます言葉しかかけられなかった。
そうして、励ましの一環として、
「お父さんには、週4日くらいショート行ってもらって、
その間は、うちに来ればいいんじゃない?
一緒に住む方が、経済的だし」
と言ってみたものの、
母はあまり乗り気ではなかった。
「同居とか、いやなのよ」
そういうので、
「同居じゃなくて、週の内、何日かはうちに泊まるってこと」
と訂正するも、
「あちこち行くと、疲れるし。
だいいち、近所の友達と会えなくなるのは嫌なの」
だそうだ。
それは、高齢者にはよくある話。
どうしたって、年を取ると、
新しい場所より、慣れ親しんだ場所の方が住みやすいってもの。
若者のように、明日から海外でも平気、などと、
適応するには、後期高齢者は頭がかたくなりすぎているのだ。
分かっている。
分かっているけど。
そこで引き下がるわけにはいかない。
今の母の疲れ具合を見れば、
それが、
放っておいていいものか、よくないものか、
容易に想像がつく。
決して、放ってはいけないものだ。
お喋りも以前ほど出来ず、
洋服も無頓着になりつつあり、
買い物にも興味がなくなりつつある。
これはまた、以前のような、
介護うつ状態のようである。
決して、放っては置けないのである。
兄も妹も、気が向いたら、実家に来て、
母の面倒をみてくれる。
それはとてもありがたい。
頼むとしてくれるし、
自分たちにできることはしてくれようとする。
しかし。
それは「きまぐれ介護」の域を出ない。
母の様子を注視して、父の様子を観察して、
今何が必要なのか、
吟味して提供する。
細かい変化に気づく。
ということは、ないのである。
私はある意味、「実家の介護は仕事」だと、
そういうふうに思っている。
そうしないと母の事も父の事も、
守れないと思っているのである。
責任をもって、毎週お世話に行く。
そうして、わずかな変化を見逃さない。
もしも自分が高齢者になったとしたら、
周りの人に、自分の存在価値を、分かってほしい。
だから今、私は母に会いに行っているのかもしれない。
年末年始は、次女がおばあちゃんの家に行きたい、
と言っている。
大晦日におばあちゃんの家で、
年越しをしたいそうである。
それは「おばあちゃんちなら、夜12時まで起きていてもいいから」
という子供らしい発想もあるようだが、
要するに、おばあちゃんが好きなのである。
「おばあちゃんは、お母さんみたいに怒らないから」
そんな風に言われると、
「それでこそ、おばあちゃんの存在意義だ」
と思い、うれしくなるのである。
私も通った、祖父母との思い出の日々。
それを次女が感じてくれていることに、
安心感を覚えるのである。
周りのママさん達より、一回り以上も年上の私。
どうしたって、おばあちゃん、おじいちゃんも、
年を取りまくっている。
次女の周りには、祖父母が80歳前後など、
ほとんどいないのであろう。
申し訳ない。
それでも、母が頑張ってくれているから、
支えていきたいと思うのである。
どんなに体が不自由になっても、
自宅で過ごしたいという母。
年末年始も、出来るだけ、自宅で過ごしたいという母。
それが母の望みなら、
それを叶えてあげられるよう、
私がしっかりと考えていくまでだ。
ひとまず。
「次女がおばあちゃんと年越ししたいってさ」
と母に言うと、
「まあっ!」
とうっれしそうに、あははと笑っていたので、
それは実現できそうな気がしている。
母と父との年越し。
出来るなら、いつまでも。
と思っている娘の私なのである。