冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】母の間違いに、ため息

母方の祖母が、100歳で大往生したのは、

ひと月ほど前の事。

そして、49日法要は、

母と私の家族とで、行く約束をしていた。

 

葬儀の時に、公共交通機関で、

母と私が行った時に、

ものすごく大変だったので、

今回は主人に頼んで、

車で送迎してもらうことにしていたのだ。

 

ところが。

予定していた前日に、念のためにと母に電話すると、

「49日法要は今日でしょ」

と言うではないか。

しっかりとした、きっぱりとした口調で言い切る母。

もう、私達一家が来ることを待っていて、

父のお世話のために、妹にも来てもらっているとのこと。

 

そんなに自信満々に言われたなら、

私の方が勘違いしていたのかと不安になった。

そこで、法要を取り仕切っているおばさん(祖母のお嫁さん)

に電話してみることにした。

 

自宅電話にかけると、

留守番電話サービスになっていた。

今回は自宅での法要だと記憶していたけれど、

もしかしたら、葬祭ホールでするのだったのか?

だからもう、出かけていて、留守番電話になっているのか?

不安があとから、あとから、出てくる。

 

再度母に電話して、おばさんの携帯電話番号を聞いて、

再挑戦してかけてみた。

するとすぐに電話に出てくれて、

「49日法要は明日ですよ」

と確認がとれた。

安堵。

体の力が抜けた。

 

折り返し、実家の母に電話して、

事の真相を話すと、

「ああ、そうだった?今日だと思っていたんだけど」

と頼りない返事が返ってきた。

本当はちょっと強く注意しようかと思ったのだが、

やめておいた。

おそらく母もショックを受けたのだと思うので。

 

しっかり者の自分のはずが、

とんだ間違いをしたのだと、

もしかしたら、自信喪失しているかもしれないと、

そう思ったのだ。

 

電話の様子にあせった主人が、

母の間違いだと気付いた時、

いらだちを覚えている様子がうかがえた。

それはそうだ。

明日のはずの法要が、今日かもしれないのだから。

誰だって、怒るだろう。

 

「もし今日なら、法要は行かないから!」

少しとげのある言葉で、主人は言ったのだ。

そして、法要はやはり明日で正解だと言うと、

主人は少々安堵したものの、

焦らされたことに対して、

面白くない様子を見せていたのだ。

 

そして。

夜に主人が言った。

「もう一度、あなたのお母さんに電話して、確認した方がいい」

その言葉に従って、

母に電話して確認して、

思わず少し注意してしまった。

「どうして、間違えたの?

カレンダーには書いていなかったの?」と。

 

母は、カレンダーには書いていなかったのだと言った。

そして、「(おばさんから)電話があった時に、法要は4日、って言っていたから。

でもそれは水曜日だから違うだろうと思って。

8日、と聞き間違えたのだと思って」

と、勘違いした内容を教えてくれた。

 

耳が悪くなっているのかもしれません。

だから、4日、だなどと聞こえたのでしょう。

そしてひとりで勝手に、8日と聞き間違えたのだろう、

と誤った想像してしまい、

結果、今日が法要との勘違いが出来てしまったと、いうことなのだろう。

 

もう、何も言えなかった。

おそらく、母も認知症が始まりつつあるのだ。

それは、仕方のない事なのかもしれない。

もう、79歳のおばあちゃんなのだから。

そして、80歳の認知症、要介護3の父の介護を、

たった一人でこなしているのだから。

もう、限界なのは当然だ。

 

母は先日、兄に言われたそうだ。

「大変なら、お母さんも、グループホームに入ってもいいよ」と。

安堵とも、不快とも、悲しみとも、とれるような、

でもそれのどれでもないような、

良く分からない声色で、母がぽつりと教えてくれた。

 

グループホームに入る。

それは、実家を離れる、ということを意味するの。

住み慣れた家、

子供や孫が遊びに来る家を離れ、

たったひとりで他人様の中に入り、生活するということ。

今までのように気楽に、

長い時間一緒にいることは出来ないということ。

大切な、大好きな人たちとの交流を、

手放さなくてはならないということ。

 

それがどんなに母にとって、悲しい事なのか。

おそらく、30年以上実家を離れている兄には、

分からないのだろう。

今の母を支えているものが、

近所のおばさん仲間だということも、

分かってはいないのだろう。

そして、グループホームでの生活は、

とてつもなく寂しく、

毎日家に帰りたいと切望するものだということも、

分かってはいないのだろう。

 

母が、大好きなのだ。

父も、大好きなのだ。

この大事な人たちを、まだ、失いたくはないのだ。

私は、わがままなのだろうか?

もう、80歳近い人たちは、

無理なのだろうか?

 

でも。

もしも、私が母の立場なら。

ずっと家にいたいのだ。

長い期間暮らしてきた、

思い出深い家で、

過ごしていたいのだ。

 

老いるとは、切ない。

それでも、あきらめたくはない。

私はそう思っているのだ。