母方の祖母が、100歳で大往生したのは、
ひと月ほど前の事。
そして、49日法要は、
母と私の家族とで、行く約束をしていた。
葬儀の時に、公共交通機関で、
母と私が行った時に、
ものすごく大変だったので、
今回は主人に頼んで、
車で送迎してもらうことにしていたのだ。
ところが。
予定していた前日に、念のためにと母に電話すると、
「49日法要は今日でしょ」
と言うではないか。
しっかりとした、きっぱりとした口調で言い切る母。
もう、私達一家が来ることを待っていて、
父のお世話のために、妹にも来てもらっているとのこと。
そんなに自信満々に言われたなら、
私の方が勘違いしていたのかと不安になった。
そこで、法要を取り仕切っているおばさん(祖母のお嫁さん)
に電話してみることにした。
自宅電話にかけると、
留守番電話サービスになっていた。
今回は自宅での法要だと記憶していたけれど、
もしかしたら、葬祭ホールでするのだったのか?
だからもう、出かけていて、留守番電話になっているのか?
不安があとから、あとから、出てくる。
再度母に電話して、おばさんの携帯電話番号を聞いて、
再挑戦してかけてみた。
するとすぐに電話に出てくれて、
「49日法要は明日ですよ」
と確認がとれた。
安堵。
体の力が抜けた。
折り返し、実家の母に電話して、
事の真相を話すと、
「ああ、そうだった?今日だと思っていたんだけど」
と頼りない返事が返ってきた。
本当はちょっと強く注意しようかと思ったのだが、
やめておいた。
おそらく母もショックを受けたのだと思うので。
しっかり者の自分のはずが、
とんだ間違いをしたのだと、
もしかしたら、自信喪失しているかもしれないと、
そう思ったのだ。
電話の様子にあせった主人が、
母の間違いだと気付いた時、
いらだちを覚えている様子がうかがえた。
それはそうだ。
明日のはずの法要が、今日かもしれないのだから。
誰だって、怒るだろう。
「もし今日なら、法要は行かないから!」
少しとげのある言葉で、主人は言ったのだ。
そして、法要はやはり明日で正解だと言うと、
主人は少々安堵したものの、
焦らされたことに対して、
面白くない様子を見せていたのだ。
そして。
夜に主人が言った。
「もう一度、あなたのお母さんに電話して、確認した方がいい」
その言葉に従って、
母に電話して確認して、
思わず少し注意してしまった。
「どうして、間違えたの?
カレンダーには書いていなかったの?」と。
母は、カレンダーには書いていなかったのだと言った。
そして、「(おばさんから)電話があった時に、法要は4日、って言っていたから。
でもそれは水曜日だから違うだろうと思って。
8日、と聞き間違えたのだと思って」
と、勘違いした内容を教えてくれた。
耳が悪くなっているのかもしれません。
だから、4日、だなどと聞こえたのでしょう。
そしてひとりで勝手に、8日と聞き間違えたのだろう、
と誤った想像してしまい、
結果、今日が法要との勘違いが出来てしまったと、いうことなのだろう。
もう、何も言えなかった。
おそらく、母も認知症が始まりつつあるのだ。
それは、仕方のない事なのかもしれない。
もう、79歳のおばあちゃんなのだから。
そして、80歳の認知症、要介護3の父の介護を、
たった一人でこなしているのだから。
もう、限界なのは当然だ。
母は先日、兄に言われたそうだ。
「大変なら、お母さんも、グループホームに入ってもいいよ」と。
安堵とも、不快とも、悲しみとも、とれるような、
でもそれのどれでもないような、
良く分からない声色で、母がぽつりと教えてくれた。
グループホームに入る。
それは、実家を離れる、ということを意味するの。
住み慣れた家、
子供や孫が遊びに来る家を離れ、
たったひとりで他人様の中に入り、生活するということ。
今までのように気楽に、
長い時間一緒にいることは出来ないということ。
大切な、大好きな人たちとの交流を、
手放さなくてはならないということ。
それがどんなに母にとって、悲しい事なのか。
おそらく、30年以上実家を離れている兄には、
分からないのだろう。
今の母を支えているものが、
近所のおばさん仲間だということも、
分かってはいないのだろう。
そして、グループホームでの生活は、
とてつもなく寂しく、
毎日家に帰りたいと切望するものだということも、
分かってはいないのだろう。
母が、大好きなのだ。
父も、大好きなのだ。
この大事な人たちを、まだ、失いたくはないのだ。
私は、わがままなのだろうか?
もう、80歳近い人たちは、
無理なのだろうか?
でも。
もしも、私が母の立場なら。
ずっと家にいたいのだ。
長い期間暮らしてきた、
思い出深い家で、
過ごしていたいのだ。
老いるとは、切ない。
それでも、あきらめたくはない。
私はそう思っているのだ。