冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】実家帰省とショートステイ

さて先日、行ってきました、実家帰省。

約一週間ぶりに、隣の市の実家に行き、

掃除機かけやら、床の拭き掃除、お皿洗いなどをしてきた。

 

前回の草抜きに比べると、

ちょっとがんばった感のある日になった。

とはいえ、果たしてお役に立っているのか、

もっと、せっせと家事手伝いをした方がいいのではないだろうかと、

思ったりもしている。

いつものように母とはたわいもない雑談をして、

今日はちょっと「へえー」なお話を聞いた。

 

それは、初めて父がショートステイを利用していた老人ホームでのお話。

母が言うには「○○(老人ホーム)、ショートステイつぶれたらしいのよ」

とのこと。

最初ピンと来ていなかった私に、母が、

「お父さんが二泊三日でショートステイして、別の部屋に入ろうとしたりして、

問題だと言われ、ショートステイを断られたところ」

と説明してくれた。

「ああ、○○って、そういえば断られたって言ってたね。

でも、まさか、つぶれるなんてね」

と私が返すと、母が、

「たくさんの老人ホームのショートステイがあるから、

なかなか難しいんだろうねえ」

と地元情報を教えてくれた。

確かに、50年ほど前に多くの人が住宅を建てたこの地区は、

最近では高齢化が進み、確かに老人ホームも増えている。

地元民からすれば、選びやすくなったともいえるが、

老人ホームからすると、競合が増えて厳しい状況になったということなのだろう。

 

「じゃあ、今回は4月にショートステイを断られたけど、

もし断られなかったとしても、結局6月にはショートステイ

行けなくなっていたってことだね」

と私がまとめると、

「そういうことになるね」

と母が同意した。

「たくさん老人ホームがあるのだから、別の部屋に入ったとかで、

入所を断っていたら、なかなか、人が集まらなかったのかもしれないし。

職員不足で、ホームの運営が難しかったのかもしれないし。

どっちにしても、難しかったんだろうね」

と続けて母が結論づけた。

「なるほど、難しいね」

私もなんとなく同意した。

 

○○を断られて、今は◇◇(別の老人ホーム)のショートステイに行っている父。

ここはなかなかのベテランさんがいて、

少々のことは、どんとこい!的な対応のよう。

父は相変わらず別の部屋に入ろうとしたようだが、

部屋に鍵をかけて入れなくして、対応してくれたそう。

ナイスッ!さすがだ。

こういう懐の深いところは、ぜひとも頑張ってもらいたいと

思わずにはいられない。

 

父の認知症の進行は、

私が毎週の帰省を復活させてからは、

さして大幅に進行はしていないそう。

帰省して、両手を握って、話を聞いてあげて、

にっこりと目を見て笑ってあげて、

支離滅裂な話にも、相槌を打って、

そうして対応していくことで、

父の気持ちに安心感が広がり、

問題行動もなりを潜めているよう。

昨日は妹も来てくれたそうで、

母も父もちょっと明るかったように思う。

良かった、良かった!

 

とはいえ、母が気になることを言っていた。

「あと一年位かな」

たったそれだけの言葉だが。

父のショートステイやら、

認知症が進行して、家での介護が難しくなったらどうしようとか、

そういう話をしていた時の言葉なのだ。

 

父の認知症が今よりももっともっと進行し、

母の疲労が限界を超えた時には、

もう自宅での介護は無理なことは、

すでに母も私も分かっていることだった。

そして、父と母の老々介護がそろそろ無理なのではないかと、

母に言葉をかけていたのは私なのだ。

「父を老人ホームに入れてもいいのでは?」

そんな提案をしたこともあった私なのだ。

 

それでも。

それでも、だ。

母の口からはっきりと、

「一年後には」

という言葉が出たということが、

娘としてはショックだったのだ。

たとえ、ほんのわずかの軽い気持ちでの、

老々介護のガス抜きのような気持ちでの言葉だったとしても、

母の口からそれが出ることが、

到底平静ではいられなかったのだ。

 

そういえば、今日も。

実家の台所にいた母は、

少しやつれたようにも見えた。

コーヒーを飲んで、お喋りをして、

庭の花々の話をしている時は元気そうだったけれど。

「来たよ」と部屋に入った瞬間の、

台所の椅子に座っていた母は、間違いなく、

老々介護疲れを見せていたことを思い出した。

 

そっか。

きっと、もう、限界突破しているのだね。

ごめんね、その深刻さに、気づいてあげられなくて。

もう、頑張らなくていいよ。

 

自分の部屋で、初夏の今でさえ、

こたつに入ってごろごろしている父。

最近では自転車にさえ、乗ることがなくなってしまっている父。

私と妹の名前は分かってはいても、

たまに間違えて、そして、母の名前の漢字さえ、

「これ、なんて読むん?」

と聞いてくる父。

80歳を過ぎて、話すをするのも、

文脈のぐだぐだの父。

もう、限界なのかもしれない。

 

さよならは、きっと、

突然に訪れると涙が頬を伝うけれど、

ゆっくりときちんと時間を取って訪れると、

涙は頬ではなく、心の中に流れていくのだと、

そんな風に思った。

 

ああ、いつかのサヨナラを、

覚悟する時が来たのだと、

ぼんやりと心に言葉を刻む。

 

私たちは誰しもがお互いに、

出会った瞬間から、

サヨナラに向かって、歩いていくものなのだね。