冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

父の老人ホーム

父が認知症専門病院に入院して、

もうすぐ2か月になる。

そろそろ、入院生活による弊害が心配される時期になる。

つまり、足腰が弱くなり、家族を忘れ、

色々なことが出来なくなる、

そういう目安の時期が来ている、ということ。

 

本当はもっと早く、

できれば入院してすぐ、退院先を探し始めれば良かったのだろう。

しかし、母の手術やら、私がバイトを始めたり、長女が中学に入学したりと、

あまりにも忙しくて、父の老人ホームの事を後回しにしてしまっていた。

 

そして、父が入院してから、実家に行って、

父の世話をしなくてよくなった気楽さもあり、

少し自宅で息抜きをしたくなったのもある。

要するに、しばらく介護の事から離れたかったのである。

 

それでも入院から2か月がたち、

そろそろと重い腰を上げて、

実家に行き、母と話をして、

近所の老人ホームに見学に行った。

前々から気になっていた、極近所の老人ホーム。

出来ればそこを、父の終の棲家にできればと思っていた。

 

しかし、結果は良くなかった。

2か月前に電話した時に空室3室あったものが、

現在は空室1室で、それももう決まりそうとのことだった。

仕方なくあきらめて、同じグループの別の老人ホームを紹介されたので、

そこに行ってみた。

 

結果として、とても設備が良かった。

雰囲気もとても良かった。

職員さんも親切そうだった。

ただし、費用は1万円ほど高くなり、

予算よりオーバーしてしまう。

 

しかし、「認知症アルツハイマー発症から5年経ったのなら、

そこまでの長生きは難しいかもしれない」との職員さんの言葉に

ハッとさせられた。

父の長生きを願うけれど、健康な高齢者と同じだけ生きられるかは、

分からないなと思った。

それならば、最後は楽しく暮らさせてあげたい。

今まで人一倍働いてきた父だから、

最後はゆっくり休ませてあげたい。

少しぐらいの予算オーバーは、

良いのではないかと思えてくる。

 

こんな風に、老人ホームを一所懸命さがしても、

いつか父は私を忘れるのだろう。

今までの思い出を、すっかり忘れてしまうのだろう。

それでも、最近は、まあいいかと思えてくる。

私は忘れない。

それでいいのだと思えてくるのである。

何もかもが変わらずにいることなど、

人生にはないのだから。

流れる川の水のように、

すべてはいつも変わっていっている。

それでいいのだ。

 

それを受け入れてこその人生だと、

悟った人のようなことを思う、

今日この頃の私なのである。