冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】認知症介護、母の介護疲れ

さて、先日は、私の家族4人が、隣の市の私の実家に行って、

父母と一緒におやつを食べて歓談した一日だった。

いつもは孫たちの訪問を喜んで、

一緒におしゃべりしたり、

孫の遊びに「何してるの?」と聞いたり、

孫と一緒にトランプをしたり、

楽しく過ごす母。

でも昨日は、ちょっと様子が違っていた。

 

一か月に一回の訪問を半ばルールのように思っているので、

昨日は大雨警報が出たにもかかわらず、

主人の気持ちは変わらず、

実家に行った。

頼まれていた、

冷凍ごはん用のプラカップ

台所用洗剤、

パイプ椅子、

そして居間に置く軽いテーブルふたつ。

 

テーブルは「軽いものがいい」

という注文だったけれど、

いざ軽いものを買っていくと、

「お父さんがこの上にすわるかもしれない。

すわったら、壊れるなあ」

と言い、ちょっと困った様子だった。

なにをするにも、いろいろと、

壊したり失くしたりする認知症の父のことを

考えなくてはならないのは、

きっとしんどいのだろう。

母自身もどうしたらいいのか、分からない、

といった様子だった。

パイプ椅子の方は気に入ったようで、

「これはいい!」と喜んでくれていた。

同じものをすでに使っていることもあり、

間違いなかったようだった。

 

皆でチョコパイとジュースをいただきながら、

一緒にテレビを観ていた時、

なんどか母の様子が気になった。

テレビに映る有名な芸能人の名前が出てこないのだ。

以前は、すっと会話に出ていたような人の名前も、

頭のひと文字、二文字ほどしか出てこず、

私たちがテレビ画面を観て、

「〇〇(芸能人の名前)さん?」と確認する始末。

それが二度ほどあり、母は名前を言うのを辞めた。

それが偶然か意図的かは分からないが、

とにかく名前が出てこなかったのだ。

 

先日の母の言葉が、また、

脳裏によみがえってきた。

「私の認知症もすすんでいるのかもしれない」

まさかあのしっかりものの母が、

この間まで普通に会話していた母が、

初期の認知症になっているかもしれないなんて。

そんなことはあるはずがないと、

それを否定する自分がいて、

それでも昨日の様子では、

あきらかに今までとは違う様子で、

認知症の三文字が頭をかすめていった。

 

どうして?

どうして急に認知症

分からない。

分からないことばかりだ。

何がどうなって、母がこんなに元気がなくなり、

芸能人の名前がさっぱり出てこないのか。

くやしいやら悲しいやら、

どうしたらいいのか途方にくれる。

一体どうすればいいのだろう?

 

それでも一縷の望みは、

「初期の認知症は進行を遅らせることができる」

というどこかで聞いた情報があることだ。

すっかり進行すれば、

それを遅らせるのは難しいけれど、

初期ならばそれが可能だと。

他に思いつく手段がない以上、

どうにか遅らせるように考えるしかない。

 

さりとて。

現在の母の状況は、

どんどん認知症が進む父との同居生活だ。

もしかりに一人暮らしならば、

私の家に、週に一回でも、

泊りに来てもらうことも可能だろう。

でも今は父がいて、

ショートステイできる老人ホームも見つかるかどうかと

言った状況なのだ。

おそらく母自身がそれを思っているからこそ、

どうしたものかと、くたびれ果てて、

認知症の症状が出始めたのではないかと思う。

 

父は一度断られた老人ホームのショートステイを、

明日、再挑戦することになっている。

これがうまくいけば、たまには母がうちに泊まりに

来ることも可能だ。

そうなれば、少しは母が楽出来るだろう。

希望的観測だが、

今はそれを祈っている。

 

自分を育ててくれた父母を、

どうやって助けたらいいのか。

今はその答えが見つからない。

昔よりはるかに長生きになった私たちは、

どうやっておりあいを付ければいいのか。

この問題はいままでに例のない、

新たな長生きの課題なのだろう。

 

自分と父と母と、自分の家族と、自分の兄弟と。

それぞれの立場で、それぞれの事情で、

お年どころを見つけていくしかないのだろう。

「もう駄目だ、と思ったところから、すべては始まる」

エジソンの言葉が胸に迫る。

何かある。

きっとある。

それを探していくのだ。

落ち込んでいる暇はない。

人生は、まったなし。

しっかりと歩いていくしかないのだろう。