冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】義父の四十九日法要

先日、隣の県にある主人の地元に行き、

義父の四十九日法要をしてきた。

親戚の方々が集まり、冠婚葬祭のホールにて、

お坊さんにお経を読んでいただき、

お話をしていただいた。

 

その後はお墓に行き、納骨をした。

風の強い中、なかなかろうそくに火が灯らず、

苦労した。

それでも青空の下、みんなでお線香をさし、

お祈りをしてきた。

 

それからまたホールにもどり、

みなさんでの会食となりました。

今回はお坊さんも一緒にいただき、

それぞれに昔話に花が咲いていた。

 

それでも半年前の義母の法要と比べ、

明らかに少ない人数で、

少々寂しい気もした。

前回はあんなに賑やかだったのに。

どうしても比べてしまう自分がいた。

 

でも。

ふと思い直した。

義母は80歳になってすぐの葬儀、法要だった。

しかし、義父は85歳になってからだった。

一般的に女性の方が長生きと言われている。

そうすると義父は長生きできた方なのかもしれない。

義父の兄弟も、

遠くにいたり、

足が不自由だったり。

 

亡くなった方が高齢だと、

兄弟知人も高齢なのだと、

体の調子が良くないので出席できない人も増えるのだと、

思い直した。

要は、長生きするとは、そういう事なのかもしれない。

さみしい、というよりは、

それほど、ずっと長く生きることが出来た、

ということなのかもしれない。

 

半年前の義母の時の、

通夜も葬儀も法要も、

涙涙の中でのことだった。

でも今は、義理の両親を見送ったことで、

すべてのことを無事に終えることが出来たという、

安堵が胸の中に広がっている。

完璧ではなかったかもしれない。

でも一通りのことは、出来たように思う。

 

主人は当主として、

これからの実家をどうするか。

いろいろ向き合っていかなければならない様子。

私は、どのようなことになろうとも、

主人の判断を助けてあげたいと思っている。

明らかに助言が必要な場合を除いて、

尊重してあげたいと思っているのだ。

 

義理の両親がまだお元気だったころに、

もっといろいろとしてあげればよかったと、

亡くなってから何度も思っていた。

もっと親孝行ができたのではないかと、

後悔に似た感情が、頭をもたげていたりもした。

それでも今回の法要を経て、

今の私が思うのは、

亡くなったからと言って、

すべてが終わるのではないということ。

 

確かにもう、直接会うことは出来ない。

お話を聞くことも、

肩をもんであげることも、

一緒に庭の草むしりをすることも、

一緒に台所に立つことも、

もう二度と出来ないのだ。

どんなに会いたくても、

会いたくても、

もうその人たちの笑顔を見ることは出来ないのだ。

 

それでも。

今は思うのだ。

生前とは違う形で、これからも会うことが出来るような気がする、のだと。

 

ふとした瞬間に。

義母ならどう言うだろうか。

義父ならどう考えるだろうか。

賛成するだろうか。

反対するだろうか。

娘の100点のテストを、

一緒に喜んでくれるだろうか。

 

そばにいないのは、身体だけなのだ。

いつまでも、心は傍にいるようだ。

ようやくその気持ちになれてきた。

 

「生前より、亡くなった後の方が、身近に感じる」

とは誰かの本にあった言葉。

今私も、感じている。

今までとは違う付き合い方で、

義理の両親は私の傍にいてくれる。

 

義理の父との最後の面会で言った言葉、

「生まれ変わってもまたこちらにお嫁に来たいです。

だからその時はまたよろしくお願いします」

その言葉に嘘はなかった。

その時に義父が目に浮かべた涙がどういう意味なのか、

今となっては知る由もないが。

私なりに喜んでくれたのだと、

思うことにしている。

 

人はいつか亡くなる。

そしてその瞬間まで生ききることが、

私達生きているものの務めだと思っている。

のんびりすることもあるけれど。

のほほんとすることもあるけれど。

時には人に感謝される生き方を、

していきたいと思っている。

 

今まで優しくしてくださったことに感謝して。

これからの人生を生きていこうと思っている。

 

春は、お別れの季節なのだなあ。