こんにちは、冬菜かしこです。
今日は朝すこし寒いものの、お昼はおだやかな暖かい一日でした。
二か月以上ぶりのこのブログですが、
この間いろいろありました。
私自身が6月にけがをして、その影響で腰を痛め、
10か日ほど入院したこともありました。
そして退院して二か月ほど経ち、
体調も戻ってきたかなと言う頃、
義母が深夜に死去するということが起こりました。
危篤状態で電話が入ったものの、
隣県の病院に向かう途中で、
逝去の連絡を受けることとなりました。
沈黙の対面は葬儀場となり、
通夜を葬儀会館の一室で過ごし、
翌日にお葬式となりました。
主人の親戚なのでほとんどの方が知らない方で、
それでも主人と義妹さんとで、
しっかりと対応をしてくれて、
滞りなく式を行うことができました。
私の方の親戚はあまり堅苦しくないのですが、
主人の方は形式を重んじるので、
ひとつひとつ丁寧に行っていき、
戒名もつけていただいていたようです。
義母が80歳と高齢なこともあり、
集まる親族も半分ほどはご高齢の方々で、
体調がなかなかすぐれないだろう中でも、
よく来てくださったものだと、
有難い気持ちになりました。
義母の存命中は、決して100点ではない嫁の私を、
それでもなにかと気遣ってくれた義母の優しさを、
こうして親戚の方々が集まることで、
改めて優しい人だったのだと思い出しました。
きれいにお化粧して頂いた義母は、
もうおしゃべりをすることはありませんが、
その顔を見るだけで、
いくつもの思い出がよみがえっては、
私の目をうるませました。
人生100年時代。
そんな言葉をいつも胸に抱いていた私は、
老人ホームで血色の良くなった義母の寿命が長いものだと、
勝手に思い込んでいました。
「これが最後だと知っていたなら」
何度も浮かんでは、消えて、浮かんでは、消えていきました。
主人の実家での最後の訪問は、
そっけない態度をとってしまっていました。
せっかく私のピアノをほめてくれたのに、
義母に笑顔を向けるのが難しく、
「はい」とだけ伝えるような、
そんなそっけない、味気ない態度をとってしまっていたのです。
老人ホームを訪問した今年のゴールデンウイークが最後の対面となりましたが、
髪をきれいに染めて、カットして、
おしゃれをしてくれていました。
私の二人娘に会うのを楽しみにしてくれていて、
「この日を待っていましたよ」
と喜んでくれていました。
その様子に私の心もほぐされて、
少しだけ義母にお喋りをしたのです。
なかなか会えないからと、
靴下とタオルをそれぞれ、
義母用と義父用とで2組用意しお渡しすると、
後日義妹さんからラインで「ありがとう」のお返事をいただき、
私の心もほっこりと温かくなっていたというのに。
どうして、今なのだろうかと、
やるせない気持ちが沸き上がってきていました。
それでも。
通夜の晩、義妹さんと葬儀会館に宿泊した際、
義母の思いで話をしている途中で、
言われた言葉に胸が詰まりました。
「今日、母がいつも通っている病院の看板の前の道を通ったのよ。
その時、もうこの病院に通わなくていいんだ、と思ったの」
「ああ、しんどかったのだ」
とっさに心の中でつぶやきました。
後日義妹さんから届いた「義母の病状の記録」を見ると、
入院や退院や、ショートステイや、通院や、
あまりにも頻繁にあちこちに通う様子が書かれていて、
言葉をなくしました。
こんなにも辛かったのに、
こんなにもしんどかったのに、
私は何も気づいてあげられなかったのだと、
申し訳ない気持ちになりました。
結婚して12年、二人の子供のお世話に明け暮れているとはいえ、
遠く離れているからと、甘えていたのではないかと、
自分の配慮のなさを悔いてしまいました。
せめて今の私が、これからできることは、
この先のことは義妹さんに任せっぱなしにするのではなく、
きちんと協力していることなのだと思いました。
高速を使っても片道3時間の道のりですが、
遠くからでも出来ることはあるはずです。
何ができるのか分かりませんが、
そんな時は何をしたらよいのか聞いて、
義妹さんの負担を少しでも減らせるように考えていきたいです。
大したことはできないかもしれませんが。
まずは一歩ずつ、歩み寄っていきたいと思っているのです。
11月上旬には、義母の四十九日法要があります。
もう一度親戚が集まり、
お墓参りをするようです。
主人の大役はこれにてひとまず区切りがつくので、
私もしっかりとお手伝いしていこうと思います。
気がかりは義父の容態です。
葬儀の後は「法要も行く」と言っていたのですが、
最近になって「欠席する予定」と老人ホームから言われたのです。
体調がすぐれないとのことですが、
以前、大病をしているので、
その影響も心配です。
普段あまり感情に振り回されない義父ですが、
義母の葬儀の時の悲しみ方が深かったので、
身体の体調の心配は当然として、
精神的な不調もとても心配しています。
「人は永遠には生きられない」
そんなことは分かっている。
だけど。
頭で分かっていることと、
体験として理解することは別なのだと、
思わずにはいられません。
義母を失くした今、
これからどのように生きていくのか。
今はまだよく分かりません。
でも。
私の人生も、主人や二人娘の人生も、
これからもずっと続いていきます。
ならば。
今までとは違う、また新たな人生を、
構築していくしかないように思えます。
人生など、いつまでも同じではないのですから。
いつも常に変化していくものなのですから。
しっかりと前を向いて。
地に足を付けてしっかりと、生きていきたいと思います。
それが私の役割だと、そんな風に思うのです。
やれるところまで。
私は私の力の限り。
明日も素敵な一日になりますように☆