冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】玄関の造花

先日の実家帰省の際、

造花を買ってきて、玄関に置いてみた。

母の好きな紫の花を中心にして、薄いピンクやオフホワイトのトルコ桔梗を

7本ほど花瓶に入れてみたのだ。

最初は5本ほど買ってきたものの、

スカスカ感が気になったので、2本買い足して7本に。

見栄えも良くなり、なかなかの華やかさだと、

自分では良い買い物をしたと思っている。

 

もともと、生け花ボランティアで頂いた生花や、

自宅の庭のバラなどを、

実家の玄関にちょくちょく飾っていたのだ。

お花が好きな母はいつも、とてもうれしそうにしていたもので、

私自身も出来るだけ持ってきてあげるようにしていた。

 

家の中にお花を飾る。

それだけでなんだか、

気持ちにも余裕が出来て、

いい効果があるのではないかとも思っていた。

実際、私がお花を持って行くようになってから、

母も自分で庭の花を摘んで、

そっと飾ったりしていた。

庭に直植えしている何気ない花や、

母の日にプレゼントして大きくなったバラや、

その時々によさそうだと思ったものを、

玄関に生け始めるようになったのだ。

 

そして、デイサービスの職員さんが父を迎えに来た際、

「玄関のお花が素敵」

だとも言ってくれるもので、

母も私もすっかり、

玄関にお花を飾るのを楽しみにしていた。

 

けれど、父と母がともにコロナにかかり、後遺症に苦しみ始めてから、

状況は一変しました。

家の中のお皿もお部屋も、

母が手入れが出来なくなった。

それまでも難しい局面はあったものの、

全く出来ないということはなく、

少しは出来ていた。

ところが今回は「ほぼできない状態」で、

私がしなければ、どんどん、

あらゆるものが汚れていく状態。

「これは必要最小限しかしてはだめだな」

と判断し、生活の見直しを計った。

 

そこで考え方を変えたのが、

「玄関の造花」。

 

重たい花瓶の水を替えるのは、

今の母には出来ない。

花がくさっても、

その花を捨てることすらできずに、

悪臭がただようにまかせるようになってしまう。

花瓶が汚れ、カビが生え、

しまいには花瓶を捨てるようになっていくのだ。

そんなことを繰り返しても、いいことにはならない。

かと言って、花好きな母の気持ちを思うと、

何とかしてあげたいと思った。

 

別件で訪れた実家の近所の100均のお店。

猫の糞防止の黒いとげとげシートを買おうと思っていただけなのに、

そのすぐそばにある造花が、

ことのほかたくさんあり、華やかで、かわいくて、

気になってしまった。

1本100円。5本で500円。

普通に生花を買っても、そのくらいはかかる。

そして、生花はせいぜい2週間ほどですが、

造花はかなり長期間にわたって、

華やかさを演出してくれる。

 

1本を手に取り、見た目を確認する。

上手に作られている。

3本をまとめて、花束っぽくしてみる。

普通にきれいな花束っぽい。

5本を1まとめにしてみる。

十分に花束として見られる品質。

 

決めた。

これ、買おう!5本買おう!

そうして、余り迷うことなく買って帰り、玄関の、

母のお気に入りの花瓶に入れて、飾ってみた。

この花瓶は重たいので、

生花を入れた後、水を入れたら、

とてもじゃないけれど、

母は水替えなど出来ない。

だから使うタイミングがなく、

宝の持ち腐れ状態だったのだ。

それが。

いまや。

造花を彩る大切な花瓶として、

その役割を全うしている。

うれしい。

 

生け花のボランティアで生花を生けていると、

どうしてもそれがいいと、

思ってしまう自分がいた。

お花は生きていてこそ。

そんな風に思っている自分がいた。

けれど、考えてみたら。

そんなに、毎日毎日、花瓶のお花を変えられる、

時間的にも気持ち的にも、

余裕のある人ばかりではない。

ましてや、79歳の母にとって、

花瓶の水替えは結構な手間と力のいる仕事。

特にコロナの後遺症のある身としては、

なかなかに難しいもの。

 

そうした事情を加味するならば、

「造花でいいですよ」

と提案してみたかった。

思いのほか母は造花を喜んでくれたので、

まずは良かったなと思った。

 

後日。

生け花ボランティアの師範の先生にお話したら、

「私もちょっと高級な造花を、少し買って、飾っているの、ほほほ」

と笑って教えてくれた。

なあーんだ。

肩の力が抜けた。

それで、いいのだ。

いつもいつも完璧でなくても、

年齢や状況や環境に応じて、

自分の生活を彩っていけば、

それでいいのだ。

安心した。

 

考えようによっては。

お部屋のカーテンを、花柄のカーテンにする人は、

「お花のデザインが素敵。テンション上がる」

となっているわけで。

造花も同じ効果だと考えれば、

それほど窮屈に考えなくてもいいのかもしれないね。

 

要は、今の自分に合ったやり方で、

お花と付き合っていけばいいというもの。

もう少し柔軟な発想を持って、

毎日をやわらかく過ごしていきたいなと思う。

 

ちなみに母に、

「次はバラの造花を買ってくるからね」

と言うと、

「そんなに無駄遣いしなくてよろしい!」

とたしなめられた。

でも、きっと。

ひと月か、ふた月か、

今の造花に飽きたころ、

私はまた新しいものを買ってきて、

玄関に生けるだろう。

 

母の喜ぶ顔が見たいから。