冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】介護の分担の難しさ

先日からコロナの後遺症に苦しむ実家に、

えっちらおっちら通っている。

通い始めて3週間。

今日までの経緯はと言うと、こんな感じ。

 

最初の一週間は、連続して泊まり込んで、

動けない父と母のお世話に明け暮れる。

慣れない実家暮らし。

動けない両親のお世話。

掃除、洗濯、買い物、食器洗い。

 

さすがに、だんだん体が異変を感じたので、

一週間が限界だと判断し、

「帰ってきてー」の娘達からの電話もあったので、

一旦帰宅することにした。

翌日の土曜日には、兄夫婦が帰省するだろう、とのことだったので、

それを頼みの綱にして、あとは両親にまかせた。

 

金曜日に帰宅。

自宅では泥のように眠りった。

眠りたいとか、眠りたくないとかではなく、

「眠らないといけない」

と体が訴えているのが分かった。

これはちょっと平常ではない。

自分の健康の危機を感じ、

一旦眠りたいだけ眠ることにして、

一週間の疲れをとった。

 

しかし。

寝ても寝ても疲れは取れない。

そして。

自宅での家事と、小学生の育児は容赦なくやってくる。

だからじっとしているわけにはいかない。

我が家には、専業主婦は私しかいないのだから。

 

けれど、私が疲れているといって、

おとなしくじっとしている娘達ではない。

ことあるごとに、やんややんやの兄弟げんか。

反抗期なんだろうけど、

今のタイミングで、その喧嘩する?

というほど、自由人な二人の娘達。

あーあー。

仕方ないと思いつつ、自分の体をひきずりつつ、

なんとかやっていった。

 

ところが翌日に、

念のため、実家に電話してみると、

事態は思わぬことになっていた。

交替で来るはずの兄夫婦が、用事で来れなくなったというのだ。

つまり。

頭痛でうなっている母が、

コロナの後遺症と認知症のよたよたの父を、

たった一人で介護しているとのこと。

妹はまだ疫病の後遺症らしく、

誰も頼れないようなのだ。

そして、そのむちゃぶりな老々介護を、

前日からしているとのこと。

 

「うそでしょ?」

このまま放っておいたら、両親は確実に共倒れになる。

下手をすれば、そのまま寝たきりになる可能性もある。

 

「これは、いかんっ!」

私はすぐさま、主人に事情を説明し、

日曜日の夕方にまた、実家に戻ることにした。

まだまだ体が動かない母を、

コロナ後遺症を背負った認知症の父の世話を

押し付けるわけにはいかない。

それは、あまりにも無茶すぎるのだ。

 

金曜日に一旦、自宅に帰ったばかりなのに。

ようやく、体を休めていたところなのに。

一日休んで、日曜日にはまた、実家にとんぼ返り。

 

悲しい。

悲しすぎる。

 

どうしてこうも、人と言うものは、

他人を当てにしてしまうのだろう。

私の人生なのに、兄に、なんでも頼まれ放題。

それはまるで、

「専業主婦は、家事も育児も介護も、なんでも頼める便利なサブスク」

のような扱いだ。

 

確かに現金は稼いでいないけれど、

節約をすることで、私は自由な時間を作り出しているのだ。

専業主婦として自由な時間と気持ちの余裕を確保して、

家族みんなの、

健康管理をしたり、食事での栄養管理をしたり、

愚痴を聞いて、ストレス軽減してあげたり、

毎日を元気に過ごせるようにしているのだ。

それが「専業主婦」というお仕事なのだ。

いうなれば「家族の敏腕マネージャー」なのだ。

 

しかし、実際は。

兄夫婦の態度と言えば、

ほとんど感謝の言葉もなく、

「やって当然。暇な専業主婦だから」

の態度だ。

だから時々、本当に切れそうになる。

実際、何度か、切れた。

それでも何も変わらない。

相変わらず、「仕事がある。隣の県に住んでる」

を言い訳にして、誰も来ない兄夫婦の家。

一体どう、考えているのだろう。

分からない。

ただ一つ言えるのは、「他人任せ」だということ。

 

昨年、母が入院した際、

「母のことを面倒見てよ。今後は、逃げないでよ!」

と釘をさしておいたのだ。

母が入院して、認知症の父が錯乱状態になったから、

妹と私で、ものすごく怖い中、

父の介護をしたのだ。

もう二度とこんなことは出来ないからと、

兄には念を押しておいたのだ。

 

あの時。

兄は「資格試験があるから」

と言って、全く実家の父の世話をしなかったのだ。

母が入院して家にいないので、

混乱して精神が不安定なり、

何をするか分からない雰囲気の父を、

妹と二人でお世話したのだ。

怖い中でも一週間の介護。

それでも誰も頼れず、

歯を食いしばってやるしかなかったのだ。

 

そして。

母が退院して、実家に戻り、

そのことで父も落ち着きを取り戻したところで、

兄はお世話にやってきた。

「毎週お世話するから」

そうして毎週末やってくるようになったのだ。

 

「遅いわっっっ!!!!!!!!!」

 

一番大変で怖い時に来ないで、

母が退院して家の中が落ち着いたころに、のこのこと、

「今頃来たって、そんなに大変じゃないわっ!」

そのことに切れて、私が尋常じゃないほど兄にこんこんと

お説教をしたのだ。

 

それなのに。

結局「毎週来るわ」の兄の言葉は、

「3か月の期限付き」だったのだ。

3か月が過ぎたら、なぜか兄が実家に帰省しなくなって、

母に尋ねて事情を聞いて、

ようやく、私も妹も知ったのだ。

そして妹も私も失望したのだ。

 

そして。

今回もまた。

兄夫婦は来ると言っておきながら、来なかったのだ。

一年前の時のことなどなかったかのように。

しれっと来なかった。

母の情報によると、

「マンションの契約があるから」とのこと。

どうしても外せなかったそうだ。

 

しかし。

もしも兄夫婦が二人でコロナになっていたら、

契約はおそらく延期だった。

もしくは、どちらかがコロナになっていたら、

コロナじゃない人が、一人で契約に行っていたはず。

だから、絶対に兄夫婦の両方が、

実家のお世話に来れなかったわけじゃないのだ。

確信犯。

私と妹が何とかするとふんで、

見ないふりを決め込んだ確信犯。

 

それを証拠に。

私が実家に行った時、

「○○(兄の名前)からお土産もらったんよ」

と母がなぜか、観光地の和菓子を出してくれた。

 

「マンションの契約も問題だが、

観光地に寄っていたの?

観光していたの?

私がへろへろになりながら実家でお世話している時に?」

 

全身の力が抜けて、脱力していくのが分かった。

失望と言うより、

よくもまあここまで、

人の気持ちが分からないものだと、

あきれ果ててしまった。

もちろん。

私にだって、苦手なことはあるし、

当然、聖人君子でもない。

 

でも、両親がコロナの後遺症で苦しんでいる時に、

のんきに観光とはならない。

人って、自分とは価値観で生きているのだと。

改めて、痛感した。

 

そうして結局、2週目も、

小学校の参観日あたりの2日を除いて、

また一週間ほど実家に通った。

前回ほど連続は無理なので、

一泊二日を繰り返し、

なんとか1週間やりきった。

 

さすがに2週目となると、

疲労が蓄積されているので、連泊は無理だ。

そして、なにより、

主人の負担が大きいのと、

二人娘の寂しさが大きすぎるので、

ちょこちょこと通うしかできなかったのだ。

 

それでも両親にとっては、

誰かが泊って面倒を見てくれるというのは、

安堵していたように見えた。

その様子を見ると、やはり、

少し無理をしてでも、行ってあげて良かったと

思うのだ。

 

そして3週目の今週はやっと、

木曜日から1泊2日の実家帰りで、

なんとか済ませることができた。

これからは丸々1週間をかかえることなく、

週に1、2日の訪問で、なんとかなりそうだ。

もちろん、今はまだ疲労が残っているというのもあるが、

なにより、母が少し元気になってくれたのが

大きいように思う。

 

そして今回。

ようやく兄が実家に帰省してくれた。

そして、父の老人ホーム入居の必要性を考えてくれたようだ。

それがどれほど費用が大きいのか。

おそらく兄は知らない。

私は主人の両親のことを見てきたので、

その費用の大きさが分かるのだが、

おそらく兄は楽観視しているだろう。

 

いままで、妹と私がどれほど、

「費用の掛からない介護」をしてきたのか。

老人ホームに入居しない必要性を訴えて、

「これが必要。あれが必要」

と訴えても、却下していた兄だから、

もう、私としては何とも言えない。

「だから言ったでしょう」

と言ったところで、今更、だ。

 

この先、どうなるのか。

まだ今は分からない。

でも一つ言えることは、

老人ホームの入居になるなら、

兄に頑張ってもらう、

というだけだ。

これ以上は、私は無理だ。

 

自分の胃に穴が開く前に、

兄に「バトンタッチ」です。

まずは、自分の健康が一番。

人への優しさは、

その次なのだ。

相手を責めて、しまわないために。