冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】父の疫病、その後

実家の両親が相次いでコロナにかかり、

そのつきそいをしていた妹もコロナにかかり、

隣の県在住の兄はあてにならず、

やはり、最後は私の出番とあいなった。

 

先のブログの通り、父は奇跡的に生還し、

自宅で横になり、休んでいる。

おそらく父のがうつったのであろう母は、

検査で陽性反応が出たので、

頭痛薬を飲んで、なんとかやりすごしている。

ワクチンを打ってほしいと思ってはいても、

高齢の両親はその副作用を怖がり、

打っていなかったための重症化。

仕方がないし、自己責任とはいえ、

ぐったりしている両親を見ると、

あまりにも心配だった。

 

結局、父が5日間の入院を経て退院し、

そのあとのお世話が必要になるものの、

母が、父の一日遅れで疫病の症状が出て、

なかなか実家へはいけなかった。

小学生2人の子供、会社員の主人。

そのどちらにも疫病をうつすわけにはいかず、

結局、母の症状が出てから5日目の日曜日に、

私一人が実家に行くことを決意した。

 

最初は外から買い物だけして、

との母からの要請で行ったのだが、

行ってみるとやはり、

思っていた以上のぐったりさ加減で、

とても、母一人に父のお世話を頼んで帰るわけには

いかないと判断した。

その予感があったので、お泊りセットを持参していたので、

主人にその旨を伝え、

「自宅へ帰りなさい」と言う母を振り切って、

「行って!」と主人に車での帰宅を促し、

私は一人実家に残った。

 

残って様子を見ていると、

父はなんにも食べず、

水分もなかなかとらず、

とにかくじっと眠ってばかり。

転院した病院で、看護師さんの足を蹴っ飛ばしたと聞いた時は、

あんがい元気なんだと思っていたのだが、

それは火事場のバカ力とでもいうような、

一時の力だったようだ。

 

80歳の父にとって、

疫病の後遺症は思った以上に重たくて、

視線もぼんやりし、

おしゃべりもほとんどなく、

とにかく布団でじっとしているばかりだ。

たまにトイレに立つのだが、

それがまた大変。

 

今までもおそらく、

トイレの失敗はあったのだろう。

それでも母から、そこまでの大騒ぎを聞いた覚えはない。

すこし、床が汚れた。

その程度だったように思う。

しかし。

今回の父のトイレの失敗は、

正直、しゃれにならないものだ。

 

トイレに行くたびに、微妙に手前に出すのだ。

だから、床が水たまりだ。

すぐに拭かないといけないのだが、

それがなかなか大変。

赤ちゃんの育児の時もトイレのお世話はしたが、

大人の、それも成人男性のそれは量も多く、

水分を拭きとるのも大変なのだ。

 

しかも、いつのまにかトイレに行っていったりするので、

気が抜けない。

油断したら、床にしみて、

下までしみ込んでしまうのだ。

結局、母の知人の方の知恵で、

ペットのトイレ用のシートを前面に敷き詰め、

その上に新聞紙を広げて、

対策をした。

それでも、便器の側面にたれていて、

下までしみていることもあったので、

側面もペットのトイレシートを張り付け、

なんとか形になった。

3回ほどは、試しただろうか。

ようやく、今はそれほどの水たまりが出来ずに済んでいる。

 

しかし、トイレでしてくれる分にはまだいいのだ。

時々、父は自室の吐き出し窓で、

サッシのあたりに用を足していた。

あとは、台所のごみ箱の中にも、だ。

おそらくは間に合わなかったのだろう。

黄色い水たまりができていた。

毛布が黄色くぬれたこともある。

あーあ、、、。

ため息がでそうになるが、

そんなことしている場合ではない。

気づいたら、一刻も早く対処しなければ、

どんどん、アンモニア臭がとれなくなってしまうのだ。

 

母は介護用ベットで、ぐったりしている。

父は認知症がすすんだようで、ぼんやり寝ている。

誰も助けてくれる人はいない。

頼みの綱の妹は、疫病がうつったままらしく、

手伝いを要請することは出来ないようだ。

頼れるのは、自分だけ。

腹をくくって、父のトイレの粗相の後片付けをしていた。

とにかく、1週間か、2週間か。

両親の疫病がぬけるまで。

妹が回復するまで。

誰かヘルパーさんを頼めるまで。

そう思って、やっていた。

 

「1階にいてほしい」

との母の頼みで、出来るだけ1階にいて、

そばにいてあげた。

最初の数日は、夜は母のベットの横で、

寝てあげた。

そのうち、私の疲労がたまってきたので、

父がデイサービスやショートステイに行っている時は、

近所の小規模な商業施設に気分転換に出かけたり、

2階で好きなテレビや本を読んだりして過ごした。

 

そうして、ようやく1週間がすぎたころ、

朝、自宅から電話がかかってきた。

電話をかけて来たのは長女で、

「朝寝坊した。もう学校行きたくない」

とのことだった。

そして、次女と喧嘩して、

険悪になっていると。

二人と話をし、どうも、不穏な空気なので、

これはまずい、と判断し、

「今日帰る」

と母に断ってから、自宅に帰った。

 

母は病院でもらった頭痛薬がよく効いたようで、

薬が効いているうちは大丈夫、とのことだったので、

自宅に帰る決心がついた。

翌日からは、兄か、兄嫁が来てくれるようだったので、

それをたのみにして、

一旦、自宅で娘たちのフォローをすることにした。

確かに、小4と小6の娘を、

1週間も放っておくのは申し訳なかったなと、

今更ながら、少し後悔した。

 

それでも、今回1週間実家に泊まったことで、

実家の両親がどのような生活をして、

どのように生きづらいのかが、

良く分かった気がした。

数日の滞在では見えてこなかった、

たとえば、網戸のやぶれや窓の汚れ、

トイレの失敗の後処理、

ごみ出しの大変さなど、

気づくことができた。

やはり、実体験による気づきは大きいと思った。

 

今後こんなに長期に寝泊まりすることはないかもしれないが、

だからこそ、今回のことを覚えておいて、

今後に生かしていきたいと思う。

将来の快適な老人ホーム生活よりも、

実家で生きている今の生活が、

何よりも大切だなと感じている。

人の気持ちによりそうこと。

忘れないようにしたいと思う。