冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

父とお散歩

 

こんにちは、冬菜かしこです。

今日は長袖ブラウス一枚でも、暑いくらいの一日でした。

 

おとといの金曜日に、いつもの週一の実家帰省をしてきました。

朝から病院の眼科に行くと母が言っていたので、

それに間に合うように早めに家を出て、

なんとか家のそばで会うことが出来ました。

 

私が実家に着くのはゆっくりだろうと思っていた母は、

父と自転車で走っていたのですが、

私の姿を見かけると、

「あとは頼んでいいかな」と言って、

手のかかる父を私が引き受け、

母は一人で自転車で病院へと向かいました。

 

その場に残された父に、

「さあ、家に帰ろう」と言ってもきかず、

すっかり外出気分になっているので仕方なく、

父のしたいように合わせることにしました。

 

すると父は自転車でお出かけし始めたので、

私はリュックを背負ったまま、

父の自転車について一緒に走ることになりました。

 

「先に家に帰っておくよ」と言えるなら楽なのだけれど、

つい最近、遠くまで自転車で徘徊した父の事、

後から行方不明になってもいけないと思い、

ついていくことにしたのです。

 

どこまでもまっすぐ自転車で走る父。

どこまで行くのかと問うと、

「いつもの所に行く」とのこと。

どうやら週3回通っているデイサービスに行きたいようでした。

止めても無理そうなので付き合うことにし、

2KMほどはあるその場所まで一緒に行き、

「今日は中に入れないのよ。明日がデイサービスだから。

明日、行けるからね」

と言って、なんとか父を説得し、

そこから折り返して実家に帰宅しました。

 

それから父は疲れたらしく、

こたつで横になり、少し眠ったようでした。

そして起きだしてからは、

「自転車で行ってくる」と言って、

また出かけようとしました。

さすがに「今はまだ走れない!」と思った私は、

「でも徘徊したら困る!」と思い、

「名前と住所と電話番号」を書いた紙を父に持たせ、

それでも不安なので、結局、

父の自転車に名前と電話番号を油性ペンで書きこむことにしました。

もしも迷子になったら、電話番号を見た人が知らせてくれるだろうと

それに期待することにしました。

 

それだけ心配していましたが、

父は少しだけ自転車で出かけた後、

ほどなくして帰宅してくれました。

 

こうした一連の父の行動を、

病院から帰宅した母に話すと、

「デイサービスが気に入っているなら、

もう少し通う日を増やそうか。

私もしんどいから」

との考えを話してくれました。

 

最近の父は、物置の壊れた戸を無理に開け、

壊れているから戸が閉まらないのに、

「戸が閉まらない」と言ってかんしゃくを起こして、

戸をがたがたと動かして、

母にも手伝ってくれと頼んで、

父と母の二人して、くたくたになっていると言っていました。

 

先週入れたばかりの玄関の花瓶の花が、

枯れて、水が濁って悪臭を放っているのを見て、

最近は大変なんだろうとは思っていましたが、

やはり、母はかなり疲れているようでした。

 

「物置を買い替えた方がいいのだけれど」

と母は言うけれど、つましい年金暮らしでは、

あまり使わなくなっている物置を買い替えるのも、ためらわれるようです。

かと言って、このままだと、毎日物置の戸をがたがたして、

父も母もくたびれ果ててしまいます。

 

母が困って息子(私の兄)に相談するも、

「あまり使っていないなら、買い替える必要ない」とのつれない返事。

自分でなんとかしないといけなく、

かと言ってあまり余裕はなく。

じれったい問題がぐるぐる回っているような状況みたいです。

 

「子供が小学生でなかったら、私が仕事をして

必要なものを買ってあげられるのではないか」

と思うこともあります。

でも反面「仕事をしていたら、子育てで手いっぱいで、

実家の事まで気が回らなくなるのではないか」

と思うこともあります。

 

どうすればいいのかと、私の頭も答えのない問題を出されたように、

ぼんやりと「困った」の文字を並べているだけの状況になっています。

 

だけど。

どんな難問題も、一年後には解決して、

あるいはどうにかやり過ごして、

また別の問題を考えているのが、

私たちの常のように感じています。

それならば、出口のないトンネルのように見えるこの問題も、

いつか落ち着く答えを出して、

それに従っていくような気がします。

要は、出せる答えをすべて出して、

ベストな選択をするしかないのではないかと思うのです。

だから今の私のすべきことは、

今考えられるすべての答えを並べて、

どの答えを選択するのかを、

母と一緒に考えていくことなのではないかと思うのです。

 

父の徘徊が心配なら、デイサービスを週3回から週4回に増やす。

物置が必要なら、安価なものを探してみる。

靴にGPSの発信機のついたものを買う。

 

とにかく色々なことを考えて、

選んでいこうと思います。

それが100%素晴らしい答えではなかったとしても、

私たちが日々生活できるならば、

それで良しとしていこうと思います。

 

母の「食べきれなかったそぼろ丼」をレンジでチンして

昼食にいただきながら、

いつもの青汁を母に飲んでもらいながら、

なんとはなしに世間話や愚痴や知人の話などをしました。

「素敵な団らん」とは程遠い私と母のよもやま話団らんに、

「何だか楽しそう」と父もなんとはなしに入ってきて、

大して実のあるものでもない、

なんでもない話をして、一緒に笑いました。

 

「肩が凝ったから叩いてくれ」との父の言葉に、

小さな子供になったような気分で、

私は父の肩を叩きました。

大して力を入れていないのに、

「痛い、痛い、もう少し優しくしてーな」と父がからかうように頼むので、

「ごめん、ごめん、このくらいでどう?」と力を緩めて、

トントンと調子をとって叩いてあげました。

 

以前なら、「もっと強く叩いてくれ。全然、効かない」と言っていたのに、

いつの間にか父は弱くはかない体になってしまったようでした。

それを父の老いと感じて、悲しむことは簡単です。

でもそれを悲しむには、現代はあまりにも、老いの期間が長すぎます。

これからの父の余生を、悲しい悲しいとばかりに嘆いていても

仕方ありません。

 

顔をあげて。

笑わなくてもいいから、せめて悲しい顔はしないように努めて。

これからの日々を考えていこうと思います。

「実家も、嫁ぎ先も、親の老後は100歳までは協力する。

それ以降は、その時に考える」

と決めているのです。

大したことはできなくても、少なくとも親の長生きは願っていたい。

そういう娘でいたいのです。

 

実家を出る時間の少し前、

父と母と私とで、コーヒータイムをしました。

父は私に財布から千円札を3枚出し、

「○○(私の名前)、お小遣いあげる」と言ってくれました。

「ありがとう」と言って私は受取り、

そのまま母にそっとそれを返しました。

母も何も言わずにそれを受取り、

何も気づかない父は少し、嬉しそうにしていました。

 

どんなことが本当の親孝行なのかは分かりません。

もしかしたら、分からないまま終わってしまうのかもしれません。

ただ、今思うのは。

「精一杯、出来ることはしたよ」と笑って、

終わりたいということです。

そのために、出来ることを考えていきたいと思っているのです。

 

「私はお父さんの娘に生まれて楽しかったよ」

とは、恥ずかしくて言えないから、

痛くない肩たたきをして、父の幸せを応援していこうと思います。

 

明日も素敵な一日になりますように☆