冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】義理の実家の名義変更

先日、隣の県にある義理の両親の家に、家族4人で行ってきた。

お二人ともすでに他界されているので、家の中はがらんとしていて、

庭は草が膝丈ほども生えていた。

とりあえず、門から玄関ドアまでの草は主人と次女と私とで

抜いたり刈ったりしたが、

5月に業者さんに草刈りしてもらったばかりなのに、

とほほな気持ちだった。

 

今回の訪問は、主人と主人の妹さんとで、

相続の関係書類の受け渡しやら、ご報告やら、だそうで、

お二人で30分ほどお話をしておられた。

先日、土地の相続の名義変更が終わり、

その報告もかねての事の様。

 

今までもなんとなく草刈りや家の不要物の廃棄などをしていて、

主のいない家の管理を少しはやっていて、

そういう気持ちを持っているつもりだった。

ですが、いざ、「田圃は妹が、実家は僕が相続した。名義変更も完了した」

と聞くと、今までにはない感情が沸き起こり、

それは自分のもうひとつの本当の家になったような気がしたのだ。

 

もちろん、今までも主人の実家であり、

何度も何度も通った家だ。

そこに行けば、義理の両親が迎えてくれて、

一緒に食卓を囲んで食事やおやつタイムをし、

一緒にテレビを観て、子供たちとともに

楽しく過ごした思い出の家なのだ。

決して、他人事の家出などではなかったのだ。

 

しかしながら。

当然ながら。

家の中のものを変えることなど出来ない。

たとえ些細なことだったとしても、

逐一ご提案して、そのすべては却下され、

私の意見の及ばない、いわば、私はいつまでも、

よその家のものとしてしか、滞在することは叶わなかったのだ。

それは特に不自由と呼べるものではないけれど、

決して楽しいばかりのものでもなかったのだ。

私と言う存在は、

ふわふわと漂うくらげのように、

ただそこに遊びに行っているにすぎないのだ。

 

ところが今回相続して名義変更がなされ、

ついに主人のものとなり、

100パーセント、主人の意向が反映される家となった。

もちろん、主人のものだから、

私の意見だけでは通らない。

しかし今までよりもはるかに高い自由度で、

その家の管理ができるということなのだ。

 

ずっとずっと庭の草刈り対応などを考えては、

どうせ意見は通らない。

とあきらめていた気持ちに、

徐々に変化が表れてきた。

「草刈りをどのようにしていこうか?」

 

家の中のものにしても、

主人には、遺品整理の業者を入れることを

受け入れてはもらえないが、

少なくともそれを提案することは出来てきている。

たとえ、かなわなかったとしても、

二人で話し合うことは出来ていることは、

今までにはない感覚だ。

 

今すぐに生前の義理の両親のものを処分する気にはなれない

主人の気持ちを尊重して、

提案はしても主張はしない。

まだそこに生きているような気がしている、

その気配を失くしたくはないだろうから。

 

台所の、衛生的にもう使えないだろうまな板も。

花を生けることなどないだろう花瓶も。

玄関にある、穴の開いたプラスチックのジョウロ3個も。

もう布団を干すことのないだろう軒下の布団干しも。

誰も聞かなくなった昭和歌謡のCDの数々も。

主のいなくなったおびただしい量の衣料品も。

私が小学生の時代に流行ったのであろうレトロな合板のタンスも。

 

すべては役割を終えているものの、

「思い出の品」という新たな仕事を得たように、

そこにそのまま置いてあるのだ。

それは、今はまだ私の意見は挟んではいけないという

妙な正義感のようなものに突き動かされて、

「黙って見守る」という私の役割をまっとうしている。

 

もしも、私の実家なら、

しばらくはそっとしておいてほしい。

両親との思い出を胸にしまってしまえるまでは、

全部心に落とし込むまでは、

そっとしてほしいと思うからだ。

誰の為でもない、私自身のために、

そうしてほしいからだ。

であるならば、主人にも思い切り、

思い出に浸って、それを胸いっぱいにすいこんでほしいと、

そんなふうに思うのだ。

 

義母がなくなってから、はや10か月が経った。

まだそこにいるような気がして、

ふと、しょんぼりした気持ちになる時がある。

生前、なかなかうまく交流出来にくい時もあったのに、

どうして思い出すのは楽しかった交流ばかりなのだろうかと、

途方に暮れる時もある。

 

「あなたからもらったバラをね、枯らしちゃったのよ。

ごめんなさいね」

そんな小さなことを、気にしてくれなくてもいいのに、

どうしてそんな謝ったりするんだろうかと、

言われた私の方が、恐縮してしまったり。

 

「手提げのカバンを持っているから、なくしちゃったのよね」

そう言って、二人娘におそろいの大きさ違いのサンリオキャラクターの

リュックサックを買って送ってきてくれて、

その心遣いにハッとさせられたり。

 

そのすべてを覚えてはおけないけれど、

いつか思い出すいくつかの大切な思い出は、

大切に胸にしまっておきたいと思うのだ。

それは主人もきっと同じ気持ちで、

二人して、主人の両親の遺品を段ボールにつめてはみたものの、

遅々として整理が出来ないのだ。

 

でも、それでいい。

そう思うのだ。

きっと荷物を整理しても、

気持ちの整理はつかないのだから。

「よし、これで、区切りだ」と。

そう思える時まで、しばらくはこのまま。

「お別れの時間」を、

持っておこうと思っている。

 

「いよいよ、この家の当主か」と、

珍しく自分の、家長としての自覚に目覚めた主人をサポートしながら、

二人してゆっくり、家を継いでいこうと思っている。