冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】祖母の年齢を思う

さて、先日はいつものように金曜日恒例の実家へのお手伝いの日だった。

 

電車とバスのタイミングがまあまあ良かったので、

朝の10時過ぎには実家について、

母から「今日は早かったねえ」と言ってもらえた。

でも実家の居間に入った時の母は、

相変わらずベットに横になっていた。

疲れているのかな?

と思っていると母の方から話が始まった。

 

数日前に、父が夜中に外に出たらしく、

翌朝に、玄関に赤いスリッパがあったそう。

母は気が付かなかったそうだが、

父は勝手に外に行き、勝手に帰宅して、

そして自室で寝たようだ。

母は朝気が付いたので、

仕方がないと思ったらしく、

あきらめた様子でした。

ただ、しばらく徘徊がなかったので忘れていた、

とがっかりした様子で話していた。

 

確かに、しばらく徘徊はなく、

最近は自転車にも乗らなくなっていたので、

私も母も油断していた。

今回は何事もなかったからよかったものの、

何かあったら大変。

玄関の上の方に別の鍵を付けるとか、

何か対策を考えなければと思った。

 

そして母の心配事のもうひとつ。

それは母の母、

つまり私からしたら祖母の事。

現在ショートステイで、

月に3週間は老人ホーム、

のこりの1週間は自分の家で過ごしている祖母。

御年の100歳を迎えたかなりのご高齢。

 

数年前まではまだ、私や母の事をあぶなげなく話していた祖母も、

最近はだんだん記憶が不安定になってきて、

2か月前はついに私の名前は出なかった。

母の名前はかろうじて出たものの、

とてもたよりない感じ。

実際、祖母宅に行ってから、数十分は、

母の名前は出ず、しばらく話してからようやく、

名前が出たような様子なのだ。

 

「今月はおかあさんのところに行こうか」

と母が言うので、

「何日に行くの?」

と予定を聞いて、

「じゃあ、私も行く」

と返事をして、一応の約束をした。

そのあと、母がぽつりと言った。

「喪服、そろそろ用意しておかないといけないかもしれない」

 

私たちはいつも、自分を中心に物事を考える。

それはどうしたって、まずは自分の生活を成立させなければ、

生きていけないからで、

仕方がないと思っている。

でも今。

母の事を考えてみると、自分の母親が100歳を超えた、

もういつその日が来てもおかしくない時になってしまった、

という悲しい気持ちになるだろう。

 

昔から、声の大きな、気持ちの落ち着いた、とても温厚な、

怒ったところなど見たことのない、優しい母。

その器の大きな人が、今、悲しい気持ちを抱えている。

私のような小さな人間が、なにをしてあげられるというのだろう。

正直、なにも思い浮かばない。

なぜなら。

私は母がまだ元気に生きていてくれるから。

まだ100歳にはとうてい届かない年齢だから。

母の気持ちを推し量ることなど、できないと思うのだ。

 

でもだからと言って、何もしないわけにはいかない。

元気のない母をそのまま放ってなどできない。

どうしたらいいのか。

途方に暮れてしまう。

だけどこういう時だからこそ、

うちの娘たちの出番なのかもしれない。

丁度明後日の日曜日には、家族4人で実家に顔を出す予定なのだ。

孫の顔を見ると少しは、母も気がまぎれるかもしれないと

期待している。

 

今日は父が上機嫌で、お昼ご飯をぺろりと平らげたそう。

「お父さん、今日は機嫌がいい」

と言っていたので、

「私が手を握って、にっこりすることで、機嫌がよくなっているのだとしたらいいな」

などと、調子のいいことを思いながら、

心の中で自分で自分をほめたりした。

たとえ父がたまたま機嫌がよく、

私の実家訪問とは無関係だったとしても、

それは大した意味ではないのだ。

自分で、自分の行動を、いい方に思うことが、

大切なように思っているのだ。

だからまた実家に行って家事手伝いをしようと、

そう思えるのだ。

 

母は今日、「あんたが定期的に、きっちり来てくれるから、助かる。

来てくれることが分かっていると、頼みごとを考えておけるからね」

と言ってくれた。

ようやく私の「毎週金曜日に必ず行く!」

という言葉の重みを、分かってもらえたようでうれしかった。

 

今日は母のお手製のかぼちゃの煮つけをいただいた。

どうやっても、べちゃっとなる私とは違い、

かぼちゃを上手にほっくりと煮つけていて、

さすが母だと、改めて思った。

そして「少しからかったでしょう?」

と言う母に「いやいや、おいしかったよ」

ときちんと伝えてあげた。

 

今日のお手伝いは、

母が近所の人からもらったお花の苗をうえるため、

100円ショップにプラ鉢を買いに行き、

苗を植え替えること。

そして、みずやり。

布団のシーツを入れること。

お皿洗い。

 

なんでもないことばかりだが、

母はいつものように「助かったわー」を連発してくれて、

まんざらでもない気分で、

あれやこれやとお世話をした。

日に日にできないことが増えていく母。

体力も筋力もだんだんに落ちてきて、

今まで出来ていたことが、

出来なくなっていく母。

 

「耳が悪くなってきたから」

という母。

「私の認知症も進んできているのかもしれない」

とつぶやいた母。

マイナスな言葉が並び、

私も悲しい気持ちになった。

いつもは私の話に「なに?なに?」と乗ってくれる母は、

今日はどこにもいなかった。

いつもドラえもんのように、

私をすくってくれていた母は、

今日はなりをひそめていた。

 

少しずつ、親離れしなさい、ということなのかな。

 

強くならなければ。

この母の娘なのだから。

少しずつ、強くならなければ。

自分に言い聞かせ、

唇をかみしめる。

 

きっと、できる。

そう信じて。

さあ、涙を拭いて、明日に向かっていこう!