先日、母方の祖母が入院した。
祖母はショートステイに滞在していて、
3週間はそこで、残り1週間ほどは、
もともと住んでいた自宅で、
息子夫婦と過ごすという生活を何年もしていた。
入院の知らせは、その祖母宅に住んでいる叔母からで、
「ご飯が食べられなくなり、入院した」
ということだった。
叔母から、知らせを受けた母が、
私に電話をくれた。
母は取り乱すこともなく、
ただ淡々としていて、
「もしもの時、着ていく黒い服がないなあ、と
○○ちゃん(叔母の名前)と話したんよ」
と言っていた。
「おばあちゃんも、もう100歳だもんねえ。
どうなるか、分からんよねえ」
と私も母に合わせるように、
ことのなりゆきを見守るしかないというスタンスのことを、
ぼんやりと話すだけだった。
2か月前、足と腰の不自由な母と、私とで、
重い腰を上げて、祖母宅に行ったのだ。
「これが最後になるかもしれないから」
との思いで、二人で出かけたのだ。
「100歳おめでとう!」
そう言って、事前に配達を頼んでいた紅紫色の胡蝶蘭を箱から出し、
祖母に渡してお祝いの言葉をかけたのだ。
数年前はそれでも、母や私の事をしっかりと覚えていて、
名前もすらすら出ていたというのに、
この時はなかなか名前も出ず、
「おばあちゃん、お話の内容分かっている?」
と心配するほど、よろよろとしていたのだ。
頭は真っ白になり、話もおぼつかなく、
一人で歩くことは出来ず、
叔母に座布団に乗っけてもらってようやく移動できるような、
そんな感じだったのだ。
それでも。
左手に茶碗、右手にお箸を持ち、
しっかりと自分でご飯を食べている様子を見て、
「もうちょっと、長生きできるかな?」
と期待もしていたのだ。
ご飯を半分くらい食べて、
腹八分目でやめて、
まだ健康に気を付けて、
食べすぎないようにしていたから、
元気なんだと思っていたのだ。
70歳代までは、1年ごとに気を付けて、
80歳代からは、1か月ごとに気を付けて、
だっただろうか。
とにかく高齢になればなるほど、
気を付けなくてはならない頻度は、
ぐんと上がるのだと聞いたことがある。
100歳ならば、なおのこと。
一日一日が、気を付けなければならない頻度なのかもしれない。
真っ白な頭の歩けない祖母を思い出せば、
確かにそうだと、思わずにはいられない。
祖母はおそらく、
大正時代の最後の方の生まれだったのだと思う。
大正、昭和、平成、令和と、
長きにわたってその時世を見て来た生き字引の人。
10年以上前に、私が結婚式を挙げた後、
ウエディングドレスを持って祖母に会いに行った時に、
言われた言葉が今でも脳裏に焼き付いて離れない。
「◇◇ちゃん(私の名前)は、いい時代に生まれていいなあ。
私の時なんかは、こんなにきれいなの、着られる時代じゃなかったからなあ」
祖母は戦争で病気になった祖父を20歳代で亡くし、
戦争未亡人のようになって、苦労したそうだ。
「私は性格が良かったから、義理の両親が一緒に暮らしてくれたんよ」
と、いつもけらけら笑って教えてくれていた。
祖母のお決まりのセリフ。
「◇◇ちゃん(私の名前)、私はね。
顔も頭も悪いけどね、性格はね、いいんよーーー」
という祖母のあまりにも、にくいほどに面白いセリフを聞くのが、
私は超大好きだったのだ。
正統派美人の顔ではないけれど、
かわいいファニーフェイスのおばあちゃん。
東大卒ではないけれど、どうやらお嬢さんだったらしく、
兄弟の世話を頼まれて、ろくに学校に出席できず、
勉強する環境があまり整っていなかったのだと聞いたことがある。
そんなことを、いろいろ言い訳するわけじゃなく、
このセリフ。
参りました、のひとことだね。
おぎゃあと生まれて、すーっと息を引き取るまで、
一体どのくらいのことを成し遂げられるのだろう。
赤ちゃんで亡くなった子も、
100歳で亡くなった大人も、
どれほどの意味があるのだろうか。
それを考えだしたら朝までかかっても、
きっと答えは出ないのだろう。
そして答えが出ないからこそ、
人生の意味があるような気もしてくるのだ。
なすべきことがある人が、長生きする?
なすべきことがない人は、長生きしない?
そんな単純なものなのだろうか?
どんなことをしても、
たいしたことをしなくても、
それはその人の自由で、
それでも生きる意味はあるのではないかと、
ふとそんな風に思ったりする。
祖母は100歳まで生きた。
母は100歳まで生きられるのだろうか。
私は100歳まで生きていけるのだろうか。
それは誰にも分からない。
ただひとつ、真実なのは、
今はまだ、祖母も母も私も、
この地球に生きているということ。
それだけがまぎれもない真実であるのだ。
祖母は今頃、病院のベットで何を思っているのだろう。
面会は出来ない病院なので、
各々の場所で、想像するしかないけれど。
願わくば、あまりしんどい思いをしていなければいいなあと、
そんな風に思うのだ。
「おばあちゃんの幸せを、今もずっと思っています」
直接は言えないから、せめて心で祈っている。