冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】初盆がきた

三連休に、隣の市にある主人の実家に行ってきた。

義理の両親はすでに他界していて、

このお盆は、新盆となった。

お墓に行き、墓石に水をかけて掃除をし、

お花を生けて、

雑草を少し抜いた。

二人の娘も水かけを手伝ってくれたり、

墓石を磨いてくれたり、

小学生なりに、

お手伝いをしてくれた。

主人と私はお墓の前で両手を合わせ、

私は、義両親の冥福をお祈りした。

 

去年までのお盆のお墓参りは、

少し、形式ばった感じだった。

お先祖様に手を合わせる、

今の自分があるのが、

ご先祖様のおかげだと、

そういった一般的な考え方しか、

どうしてもできなかった。

一枚の写真でしか見たことのない、

主人のご先祖様。

どうしても、実際の身近な人のように、

感じるのが難しかったのも事実なのだ。

 

でも、今年は違う。

昨年の秋に義母が、

その半年後の春に義父が、

相次いで他界してしまったのだ。

墓石に名前が刻まれて、

ついに写真でしか会えなくなってしまったのだ。

いくら思い出を取り出してみたところで、

すでにその人たちはいないのだ。

思い出話も、もう出来ないのだ。

私の名前を呼んでもらうことも、

もう二度と出来ないのだ。

そう思うと、胸がぎゅっとなり、

全身の力が抜けていくような気になるのだ。

100パーセントの仲良しだったわけではないのに。

時には帰省がおっくうだった時だって

あったはずなのに。

今思い出すのは、義両親が帰り際に

笑顔で手を振ってくれたことばかり。

 

今年の春に義父が亡くなってから、

主人が実家の整理に毎月一回、

帰省していた。

そして6月くらいから、

家族4人そろっての帰省にして、

今月で3回目。

いつもは、少しずつ慣れてきた、

主のいない実家帰省も、

今回はなぜか力が入らず、

気が付いたら義両親の遺影の置いてある部屋に行き、

なんとはなしに、写真を見つめていた。

特に何かがあったわけではない。

ただ、なんとなく、として言えないが。

義両親に、心の中で、近づきたかったのだ。

 

初めて主人の実家に行ったのは、

結婚が決まって、その了承をいただくため。

そのあと、義父が脳梗塞で倒れて、

あわてて主人と病院に行き、

結婚式の欠席の事を知らされた。

そして結婚式に義母が来てくれて、

ドレス姿を見ていただいた。

すぐに赤ちゃんが生まれ、

乳飲み子を抱えて帰省した。

次女が生まれてからはまた大変で、

てんやわんやで帰省したもの。

 

居間のソファの上で、

義父と義母が代わる代わる赤ちゃんを膝に乗せてくれて、

かわいがってくれた。

娘が幼児になると、

砂遊びのプラバケツやスコップのセットを買っていてくれて、

とてもうれしかった。

ハンカチ、靴下、ぬいぐるみ、部屋着。

時にはサンリオのリュックを二つ、

宅配で送ってくれたこともあった。

すでに年金生活をしていた義両親。

決してぜいたくはできないだろう中で、

孫のためにいろいろと買ってくれたことに

感謝の気持ちしかない。

 

ある時、行きたいところがあるからと、

義母に頼まれていったのは、老人ホームのお祭り。

以前から、「将来老人ホームに入るのに、いいところ見つけたんよ」

と言っていた義母。

すぐに、気に入っている老人ホームの下見だなと思った。

雨の中車で行ったそこは大きい建物と広い敷地で、

優しい職員さんがいて、

バザーで売っているものも、

みなセンスがあるものばかり。

ここに来たいのだろうな、と思った。

そして、義母がそうしたいなら、

そうなればいいと思っていた。

しかし義両親は一緒に老人ホームに入ることになり、

義父が実家のそばがいいと言ったため、

別のホームに入ることになったのだ。

 

だからと言って義父になにか思うわけではない。

人生とは、自分の思うようにいくばかりではないこと、

人生50年も生きて来た私はそれが分かるし、

義母も70年以上生きてきたのだから、

きっとそれを分かっていたのだろう。

残念ですが、それが人生というものなのだと

思うのだ。

 

「私の方が長生きするよ」

と笑っていた義母。

「わしの方が長生きするよ。見ときなさい」

と自信たっぷりだった義父。

いつかその結果が分かるのだろうと、

ぼんやり思っていた私は、

そのどちらも、

あたるようで、あたらないようで、

不思議な気持ちでいたのだが。

結局は、義父の言う通り、

義父の方が長生きした。

ただし、半年間だけだった。

まるで義母をきちんと見送って、

自分の役目を果たしてから、

いきたかったかのように、

義父は義母の亡き後ほどなくして

冬に入院して、

そして春に世を去った。

最後まで仲良しだったんだなと、

そんなふうに見えて仕方がなかった。

 

義両親を見送って思うのは、

当たり前なのだが、

人はいつか亡くなるということ。

それは1つの例外もなく。

身分も資産も頭脳も体力も関係なく。

人はみな平等に、

おぎゃあと生まれて、

そして去っていく。

誰でも知っているこの理に、

今こうして現実味が出てきたのだ。

今までは「知っていた」けど、

「分かっていなかった」のだと。

 

それはこれからの人生をどう生きるか。

それを腹の底から考えなくてはならないと、

真剣に思う事なのだ。

だからこそ、この人生は、

こんなにも輝いているのだと、

そんなことを思うことができたのだ。

 

義両親の新盆がきた。

両手を合わせて祈った。

どうか、安らかにお過ごしくださいと。

それは全ての人々が、

通る道なのだ。

人生は素晴らしい。

そのことを胸に抱いて、

明日からも生きていきたいと思う。