冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】実家の母、元気復活

先日、毎週恒例の実家の家事手伝いに行ってきた。

父の部屋や居間や二階の部屋を掃除機をかけ、

母が「テレビの裏がほこりがすごいのよー」というので

そこも徹底的に掃除機でギューンと吸い込み、

ひと通り掃除機をかけた。

さらに、台所はテーブルの下が食べ残しが落ちていて気になったので、

食べ物を掃除機で吸いたくない母のために、

掃除機は使わず、しゃがんでフローリングシートで床を吹いた。

ここまですると、さすがにほこりらしいほこりは見えなくなり、

母曰く、「ほこりがなくなると、気持ちいいねー」と言う状態になり、

確かに空気が澄んできた気がした。

 

あとはいつものお皿洗いをして、

母のおしゃべりの相手、

父と握手して笑顔を見せて、

気持ちが落ち着くように接してあげた。

何を話すのかではなく、

どのような表情で、

どのようなスキンシップで、

どのような雰囲気で、

という感情に訴えかける事柄がとても大切だ。

たとえこちらが小言を言って父がへそをまげても、

にこにことしながら握手してあげると、

もうそれだけでご機嫌が直り、

良好な関係に戻すことが出来るのだ。

 

認知症の人との接し方は難しく、

話がかみ合わないので、

ストレスを感じることも多々あるが、

こうした、すぐに忘れる、ということは、

マイナスばかりではないなあと、

最近は思ったりしている。

それは母も思うようで、

「怒っても、すぐ忘れてくれるから、助かる時もある」と言い、

二人して、ふふふと笑って、こっそり共感しあった。

父はきょとんとしていたが、

まあそれでよいのだと、いうことにしている。

 

最近の母の気がかりだった、

父の1泊2日のショートステイの再挑戦。

前回は2泊3日で頼んで、結果、老人ホーム側がちょっと難しい、

ということで一度は断られた案件。

「もう一回、試してみてもいいよ」とのホームのご厚意で、

今週の火曜日と水曜日に再挑戦してみたのだが。

結果から言えば、再挑戦は成功、ということだった。

やはり1泊2日の場合、

まるまる1日ホームにいる、と言う状態がないので、

気持ちが安定しているのだろう。

大きな問題もなく済んだようで、

これからも毎週行ってもいいということになったそうだ。

やれやれだ。

 

ここのところ母がお疲れの様子で、

一体どうしたんだろうと思っていたのだが、

今日はこの再挑戦成功の話をしていて、

もしかしたらこのショートステイのことが気になって、

元気がなくなっていたのかもしれない。

それを証拠に、今日は以前の母に戻ったように、

元気で、声も張りがあり、何よりいろいろは話を意欲的にしてくれて、

「ああ、いつもの母にもどったなあ」とうれしくなった。

 

父がいることで、母の生活は制限される。

母のお友達2人が泊りの旅行に行ったという話をする母は、

別に行きたいわけじゃない、とはいうものの、

私には、何パーセントかは、強がりにも聞こえたりする。

それでも父がショートステイで1泊2日にいってくれるようになれば、

ようやく母も、お友達と楽しく旅行に行ける可能性もでてくるのだ。

私にはそれがとてもうれしいのだ。

 

父のショーステイ中、

母はお友達と旅行に行ってもいいし、

うちに泊まって孫と一緒に遊んでもいいし、

自宅でぼんやりリラックスしてもいいし、

いろいろ夢が広がる。

そしてそれを一番心待ちにしているのは、

もちろん、老々介護に日々奮闘している母なのだ。

娘として、どうか母を楽しませてあげたいと、

切に願っているのだ。

 

今は居間に介護用ベットを置いて寝起きしている母は、

隣の物置部屋をリフォームする段取りをつけると意欲的に話していた。

いくら私が言っても、あまり乗り気ではなかった母の前向きな姿勢に、

少しだけ私も元気が出てきた。

そして、もうひとつ。

「来週はこどもの夏休みに入るから、来れるか分からないな」

と言った時に、母が、

「来てほしーい」

と言ったこと。

今までは遠慮の塊で、

「無理しなくていいよ」と言っていたのに、

180度の変わりように、少々驚いた。

それでも、気持ちを素直に言ってくれるのは、

娘としてはうれしいものだ。

「もしも来れない時は電話する。来れる時は電話しない」

と返事をし、帰宅してからカレンダーを見て予定を確認して、

娘に「来週の金曜日はおばあちゃんの家に行くよ」

と伝えた。

 

「出来ることはする」

小さな自分の決心を、

きちんとこなしていこうと思うのだ。

永遠に生きる人などいない。

父も母も私も、

今、おぎゃあと生まれたどこかの赤ちゃんも。

みんな限りある人生を精一杯生きている。

ならば、今したいこと、今できることをしていきたい。

それが私の人生を、私が生きるということだから。

楽しみながら。

相手の笑顔を喜びながら。

無理なく、無理なく。

お手伝いしていきたいと思っているのだ。

大好きな父と母だから。