冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】地元のバラ園にて

 

 

先日、久しぶりに実家の母と、お出かけに行ってきた。

 

隣の市の母は、こちらの市まで、タクシーと公共交通機関を使って、

自力で近くまで来てくれると言っていた。

でも主人が、「高齢者を一人で電車に乗せて、何かあったら大変だから」

と送迎を申し出てくれたので、

母は実家でのんびり私たちの到着を待つこととなった。

しきりに「今日は楽だわー」を連呼する母。

いつもは頑張って公共交通機関を使っているものの、やはり、

実は無理していたのだと実感した。

 

今日は朝9時半に、母が父をデイサービスに送り出し、

私達一家は、10時過ぎに実家に到着した。

お昼ご飯までには時間があるので、

みんなでテレビを観たり、

二人娘はゲームをしたり、

のんびり過ごした。

昼食は何がいいかと母に聞くと、

あまり主張はなく、

回転すしを提案すると、それに賛成したので決めた。

 

実家からひとまずうちの市に車で移動し、

いつもは行かない、地元の回転すし店に行った。

11時半という、休日にしては早めの昼食時間の為か、

店内はわりとすいていて、

店の奥の落ち着いた4人テーブルに1つ椅子を追加してもらい、

少し早めの昼食にした。

 

メニューを見ると、いつも行くリーズナブルチェーン回転すし店より、

二倍近くの高値が並んでいた。

「このお店、高すぎた?」

と私も主人も思ったが、

お昼は激込みするチェーン店に行く気もないので、

今日の所はここで、ということになった。

いつもなら、100円台のお寿司が並んでいて、

それほど気にせず食べる回転すし。

しかし今日は違った。

一皿300円から400円、500円が平気で並んでいる。

それは、もう、厳選する。

 

今のお腹の好き具合と、自分の好きな寿司ネタと、

高い店ならではのネタと、おすすめ品と。

いつもは一皿の中の二貫を口にぽいっと放り込むが、

今日は一貫食べては、「これ、食べる?」

と母や主人に聞いて、シェアしていった。

でもシェアしても、十分な食べ応えだった。

 

他店よりも一回り大きいネタ。

他店と同じネタの種類なのに、

別のものみたいに美味しいネタ。

どれを食べてもはずれがなく、

どれも安心して注文できるものばかりだった。

 

特にお気に入りは、

しっかりと分厚いウナギ握り。

また食べたいと思わせる、しっかりとした味。

茹で海老も、まるで他店とは違ううまみで、

これまた、また食べたいと思った。

海老握りは、エビの大きさが1.5倍で、

一貫でも十分味わえた。

赤だしの味噌汁も、200円を切る値段ながら、

あさりがざくざく入っていて、満足だった。

炙りびんちょう鮪も、炙りサーモンも、

あまり味を付けていないのに、

十分なおいしさだった。

生のホタテ貝柱も、薬味が上に載っていて、

いつもとは違うものの、なかなかアクセントのある味でおいしかった。

 

二人娘は若鶏唐揚げやら、うどんやら、牛肉握りやら、

「なんで回転すしで、魚系以外?」

というラインナップで、正直、うーん、と思ったが、

それでも「おいしーい!」を連発するので、

それはそれでよかったと思った。

 

母は、大好きなサーモン握りやら、

私がおすそ分けしたうなぎ握り、海老天握りやら、

赤だしのアサリ味噌汁やら。

いつもよりももりもりと、

回転すしを楽しんでいた。

「(値段が)高いけど、好きなものを食べて満足しないとね」

の母の言葉で、結局私も主人も好きなものをほどほどに、

美味しくいただいた。

後で聞くと、主人は満腹ではなく、遠慮していたそうだが、

美味しいものを頂いたことは、満足していた様子。

母にごちそうになり、みんなうれしそうだった。

 

その後地元のバラ園に行き、今が見ごろのバラの庭園を堪能した。

受付でもらった花の開花スケジュール暦によると、

実際には、満開はあと1週間後からみたいだが、

その時には駐車場も満車になるだろうし、

今日は開花具合も駐車場の込み具合も、

丁度良い感じだと主人と話し、

なかなか良い日に来たと思った。

 

背中と足と膝が万全ではない母は、

一人では歩くのが大変そうなので、

私は母の右側を歩き、

母が自然に私のひじを杖代わりにするのにまかせた。

太陽が照り付け始めてからは、

母に日傘をさし、

出来るだけ体の負担がないようにした。

母の持参したペットボトルのお茶は、

のどが渇いた時だけわたし、

飲み終わったら私が受け取り、

キャンパス生地のバックに入れて、

持ち歩いてあげた。

 

10年以上前。

私がけがで数か月入院した際、

母が私の乗っていた車いすを押して、

病院の屋上まで連れて行ってくれたことがあった。

その時に私は、

「お母さんが車いすに乗るようになったら、

今度は私が押すからね」

と言ったものだ。

母はけらけらと笑いながら、

「期待しています」

と言っていた。

 

まだ母は車いすには乗っていないが、

足が不自由なら私のひじを貸すのは、

あの時のお返しになるだろうかと思ったりしている。

別にあの時のお返しではなくても、

かまわないのだが。

あの時の約束を、お互いに覚えているうちに、

果たしてあげたいなと、思ったりしている。

 

今日のバラ園のバラたちは、まだまだつぼみも多く、

満開の開花とはいかなかったが、

母はゆっくりと園内を歩きながら、

しきりに「きれいだなー」「いろんな色があるなー」

「紫のバラもあるなー」「ほんっとに、きれいだなー」

と声に出して喜んでいた。

 

以前は、父もここにいた。

もちろん物理的には父も参加は可能だが、

要介護3でいつ脱走するかもしれない父を連れて、

ゆっくりバラ見物は出来そうもない。

気持ちが、父の介護に持って行かれてしまう。

だから、今回は母のみの参加だ。

 

子煩悩な父は、おそらく、孫を大変かわいがってくれるだろう。

「あのバラを観に行こう!」と、二人の小学生の娘と、

バラ園をこれでもかと楽しんでくれるだろう。

もしも、認知症でなければ。

もしも、要介護3の状態でなければ。

 

介護でいつも思うのは、

「もしも○○だったら」ということ。

しかしそれは、

「それを言っちゃあおしまいよ」

なのだ。

それを工夫と覚悟と、あきらめで、乗り越えていかなくてはいけないのだ。

悲しくて、寂しくて、胸が痛むが、

その現実から目を背けてはいけないと思う。

「以前、父も参加してくれたバラ園は、楽しかった」

そんな思い出があることに感謝して、

それを胸に生きていくしかないのだと思うのだ。

 

バラ園を一通り見た後、

門を出たところにある花の販売所で、

母と私はバラの苗を買い求めた。

私は以前から希望していた、真っ白いバラの苗。

母は小ぶりながら形の良い、深紅のバラの苗を選んだ。

「母の日のプレゼントです」

と言って、母にはそれを贈ってあげることにした。

ささやかな、親孝行。

 

バラ園を出る時、ふと、

「来年も来れるのだろうか?」

という思いが、胸をよぎった。

昨年、あんなに元気だった義理の両親が、

あっと言う間に旅立ってしまった経験をしたのだ。

だから、どうしても心配になってしまう。

 

でも。

心配をしたところで、運命が変わるわけでもない。

今の私に出来ることは、とにかく。

今、母に何が出来るのか、それを考え、

実行するしかないのではないか、と。

 

私の大好きなことば、

ケセラセラ

(なるようになれ)

 

今の私の精一杯を、母に届けていこうと思う。