先日、久しぶりに実家の母と、お出かけに行ってきた。
隣の市の母は、こちらの市まで、タクシーと公共交通機関を使って、
自力で近くまで来てくれると言っていた。
でも主人が、「高齢者を一人で電車に乗せて、何かあったら大変だから」
と送迎を申し出てくれたので、
母は実家でのんびり私たちの到着を待つこととなった。
しきりに「今日は楽だわー」を連呼する母。
いつもは頑張って公共交通機関を使っているものの、やはり、
実は無理していたのだと実感した。
今日は朝9時半に、母が父をデイサービスに送り出し、
私達一家は、10時過ぎに実家に到着した。
お昼ご飯までには時間があるので、
みんなでテレビを観たり、
二人娘はゲームをしたり、
のんびり過ごした。
昼食は何がいいかと母に聞くと、
あまり主張はなく、
回転すしを提案すると、それに賛成したので決めた。
実家からひとまずうちの市に車で移動し、
いつもは行かない、地元の回転すし店に行った。
11時半という、休日にしては早めの昼食時間の為か、
店内はわりとすいていて、
店の奥の落ち着いた4人テーブルに1つ椅子を追加してもらい、
少し早めの昼食にした。
メニューを見ると、いつも行くリーズナブルチェーン回転すし店より、
二倍近くの高値が並んでいた。
「このお店、高すぎた?」
と私も主人も思ったが、
お昼は激込みするチェーン店に行く気もないので、
今日の所はここで、ということになった。
いつもなら、100円台のお寿司が並んでいて、
それほど気にせず食べる回転すし。
しかし今日は違った。
一皿300円から400円、500円が平気で並んでいる。
それは、もう、厳選する。
今のお腹の好き具合と、自分の好きな寿司ネタと、
高い店ならではのネタと、おすすめ品と。
いつもは一皿の中の二貫を口にぽいっと放り込むが、
今日は一貫食べては、「これ、食べる?」
と母や主人に聞いて、シェアしていった。
でもシェアしても、十分な食べ応えだった。
他店よりも一回り大きいネタ。
他店と同じネタの種類なのに、
別のものみたいに美味しいネタ。
どれを食べてもはずれがなく、
どれも安心して注文できるものばかりだった。
特にお気に入りは、
しっかりと分厚いウナギ握り。
また食べたいと思わせる、しっかりとした味。
茹で海老も、まるで他店とは違ううまみで、
これまた、また食べたいと思った。
海老握りは、エビの大きさが1.5倍で、
一貫でも十分味わえた。
赤だしの味噌汁も、200円を切る値段ながら、
あさりがざくざく入っていて、満足だった。
炙りびんちょう鮪も、炙りサーモンも、
あまり味を付けていないのに、
十分なおいしさだった。
生のホタテ貝柱も、薬味が上に載っていて、
いつもとは違うものの、なかなかアクセントのある味でおいしかった。
二人娘は若鶏唐揚げやら、うどんやら、牛肉握りやら、
「なんで回転すしで、魚系以外?」
というラインナップで、正直、うーん、と思ったが、
それでも「おいしーい!」を連発するので、
それはそれでよかったと思った。
母は、大好きなサーモン握りやら、
私がおすそ分けしたうなぎ握り、海老天握りやら、
赤だしのアサリ味噌汁やら。
いつもよりももりもりと、
回転すしを楽しんでいた。
「(値段が)高いけど、好きなものを食べて満足しないとね」
の母の言葉で、結局私も主人も好きなものをほどほどに、
美味しくいただいた。
後で聞くと、主人は満腹ではなく、遠慮していたそうだが、
美味しいものを頂いたことは、満足していた様子。
母にごちそうになり、みんなうれしそうだった。
その後地元のバラ園に行き、今が見ごろのバラの庭園を堪能した。
受付でもらった花の開花スケジュール暦によると、
実際には、満開はあと1週間後からみたいだが、
その時には駐車場も満車になるだろうし、
今日は開花具合も駐車場の込み具合も、
丁度良い感じだと主人と話し、
なかなか良い日に来たと思った。
背中と足と膝が万全ではない母は、
一人では歩くのが大変そうなので、
私は母の右側を歩き、
母が自然に私のひじを杖代わりにするのにまかせた。
太陽が照り付け始めてからは、
母に日傘をさし、
出来るだけ体の負担がないようにした。
母の持参したペットボトルのお茶は、
のどが渇いた時だけわたし、
飲み終わったら私が受け取り、
キャンパス生地のバックに入れて、
持ち歩いてあげた。
10年以上前。
私がけがで数か月入院した際、
母が私の乗っていた車いすを押して、
病院の屋上まで連れて行ってくれたことがあった。
その時に私は、
「お母さんが車いすに乗るようになったら、
今度は私が押すからね」
と言ったものだ。
母はけらけらと笑いながら、
「期待しています」
と言っていた。
まだ母は車いすには乗っていないが、
足が不自由なら私のひじを貸すのは、
あの時のお返しになるだろうかと思ったりしている。
別にあの時のお返しではなくても、
かまわないのだが。
あの時の約束を、お互いに覚えているうちに、
果たしてあげたいなと、思ったりしている。
今日のバラ園のバラたちは、まだまだつぼみも多く、
満開の開花とはいかなかったが、
母はゆっくりと園内を歩きながら、
しきりに「きれいだなー」「いろんな色があるなー」
「紫のバラもあるなー」「ほんっとに、きれいだなー」
と声に出して喜んでいた。
以前は、父もここにいた。
もちろん物理的には父も参加は可能だが、
要介護3でいつ脱走するかもしれない父を連れて、
ゆっくりバラ見物は出来そうもない。
気持ちが、父の介護に持って行かれてしまう。
だから、今回は母のみの参加だ。
子煩悩な父は、おそらく、孫を大変かわいがってくれるだろう。
「あのバラを観に行こう!」と、二人の小学生の娘と、
バラ園をこれでもかと楽しんでくれるだろう。
もしも、認知症でなければ。
もしも、要介護3の状態でなければ。
介護でいつも思うのは、
「もしも○○だったら」ということ。
しかしそれは、
「それを言っちゃあおしまいよ」
なのだ。
それを工夫と覚悟と、あきらめで、乗り越えていかなくてはいけないのだ。
悲しくて、寂しくて、胸が痛むが、
その現実から目を背けてはいけないと思う。
「以前、父も参加してくれたバラ園は、楽しかった」
そんな思い出があることに感謝して、
それを胸に生きていくしかないのだと思うのだ。
バラ園を一通り見た後、
門を出たところにある花の販売所で、
母と私はバラの苗を買い求めた。
私は以前から希望していた、真っ白いバラの苗。
母は小ぶりながら形の良い、深紅のバラの苗を選んだ。
「母の日のプレゼントです」
と言って、母にはそれを贈ってあげることにした。
ささやかな、親孝行。
バラ園を出る時、ふと、
「来年も来れるのだろうか?」
という思いが、胸をよぎった。
昨年、あんなに元気だった義理の両親が、
あっと言う間に旅立ってしまった経験をしたのだ。
だから、どうしても心配になってしまう。
でも。
心配をしたところで、運命が変わるわけでもない。
今の私に出来ることは、とにかく。
今、母に何が出来るのか、それを考え、
実行するしかないのではないか、と。
私の大好きなことば、
「ケセラセラ」
(なるようになれ)
今の私の精一杯を、母に届けていこうと思う。