冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】金曜日の実家訪問、再開

 

 

さて、しばらく実家訪問をしていなかったものの、

母が大変そうなので、

やはり金曜日の実家訪問を再開することにした。

先週の金曜日にその宣言を実家の母にして、

絶対に毎週金曜日に行くのだと、

心に誓ったのだ。

 

ところが。

今日は朝からかなりの雨だった。

最寄り駅まで、たまたま有休をとっていた主人に

車で送ってもらおうか。

そんなことを思うほどに、

結構な量の雨がざあざあと、

見るからに足元が濡れそうなほど激しく降っていたのだ。

でも、毎日、雨の日も風の日も、

時には雷の日でさえ、自転車で最寄り駅まで行く主人。

その主人のたまの休みを、のんびりさせてあげたいと思い、

一人で自転車に乗って、合羽を着て、最寄り駅まで行った。

駅に着くころは、ジーパンの裾も手首の辺りも、

スニーカーの中も靴下も、

全てがびしょ濡れとなっていた。

 

そんなこともあろうかと、

靴下は替えを持ってきていたが、

靴はそのままで我慢するしかない。

仕方なく電車もバスも徒歩も、

そのまま頑張って行った。

 

「雨だから、来ないかと思った」

と言いながら、父のデイサービスの日を、

昨日から今日に、しっかり変更していた実家の母。

「あんたが来るから、デイサービスは昨日にしてもらったんよ」

とあっけらかんと教えてくれた。

だんだん認知症が進行して、

今では要介護3となっている実家の父。

なかなか話もかみあわないので、

一緒にいるのは少し気を使う。

だから正直、「えっ、いるの?あー、今日は楽できないなー」

と思ってしまった。

 

とはいえ、母が楽になるように来ているわけなので、

そこは母を助けるべく、

父と握手をして、話をして、昼食を一緒に食べてあげた。

母と私が台所で話していると、

ふらふらと来て、一緒に参加しようとする父。

どうやら寂しいようだ。

もともと、実は寂しがり屋の父。

台所に来たら、「こっちに座って、一緒に食べよう」

と言ってあげるのが親切なのだ。

そうすると父も安心するのだ。

子供も認知症高齢者も、安心するとあんまり手がかからなくなる。

そういうことなのかもしれない。

 

以前、私の実家訪問が意味がないよと、

言っていた母だが、

妹に、「お姉ちゃんに感謝して、もっともっと来てもらってよ」

と釘を刺された母は、今日は、

「来てくれて助かるわー」と言ってくれていた。

そうそう。

そう言ってくれることが、一番のごほうびなんですよーと思いつつ、

機嫌よく家事手伝いをすることが出来た。

 

本格的な家の大掃除を頼もうとする母に、

「電車とバスで2時間かけてきているから、

通常の掃除くらいしかできないんよ、体力的に」

とやんわりと断って、無理のない範囲でお掃除や食器洗いをしてあげた。

確かに家はなんとなく埃があるところがあり、

また、くすみ汚れもあるようだ。

でもそれは、毎週金曜日の訪問時にちょっとずつ吹いていくうちに、

ある程度きれいになると考えて、

通常は無理のないことをしようと決めた。

あまり張り切って、相手に恩着せがましく言うよりは。

最初からとばさず、ゆっくり始めて、

そのうち掃除の効果が出るくらいでいいかなと思っている。

 

今日、私の愚痴をしっかりと聞いてくれた母だが、

途中、老人ホームに入った母のお友達のお話をしてくれた。

ひまわりのように明るい、私も知っているそのおばちゃんは、

昔から大勢の人に囲まれてよくしゃべる人だった。

明るくて、元気で、気さくで、飾らなくて。

後期高齢者になって老人ホームに入ってからも、

ホームの中で「姫、姫、って呼ばれてるんよ」

と本人が言うほど、ホーム生活は楽しい様子だったそう。

 

それから何年か経って、最近母がまたそのおばちゃんのホームに

面会に行ってみたようだ。

すると、今までの話とは打って変わって、

「すごく痩せていて、元気なさそうだった」とのことだった。

やはり。

老人ホームはどうしても、自宅の生活のようにはいかないのだと、

改めて思い知らされた。

食事やトイレなど、介助してもらえる安心はあるが、

どうしても自由と言う面では、不自由があるのかもしれない。

 

そして、次に母が話したのが、父の事だった。

要介護3になり、認知症がどんどん進んでいるよう。

このまま進行してえらいところまでいくと、

精神的に不安定な方の施設に入ることになり、

そこに入るとほぼ、「お別れになる」ということだった。

精神的に、こっちの世界に戻って来られなくなるそう。

今は私の事も分かる父だが、

そのうちに、分からなくなる日が来るのかもしれない。

 

両親とのお別れは、「心臓が止まったらお別れ」だと思っていた。

ずっとそう信じてきた。

しかし今日の母の話を聞いて、

認知症が進行して重度となれば、

精神的なことで「お別れ」になるのだと、

気づかされてしまった。

 

寂しい。

今までずっとかわいがってくれた父なのに。

いつか、私の事が分からなくなり、

体は元気なまま、お別れになるなんて。

 

この頃、自分が小さかった頃の事ばかり思い出す。

毎日が楽しくて幸せで、

世の中には辛く悲しいことがあることなど、

一ミリも考えたことがない子供時代だった。

今でも思い出すのは、

大好きだった、幼少期の一軒家。

父と母と兄と妹と、

そしてたまに祖父母が訪問してきて、

楽しすぎた子供時代。

 

もう二度と戻らないその時代を思う時、

ふいに寂しさが胸をよぎる。

でも。

今私がしなくてはいけないのは、

いつまでも感傷に浸るのではなく、

自分の小4と小6の二人娘に、

自分と同じような幸せな小学生時代を感じてもらう事。

そう思うと、いつまでも感傷にひたってなどいられない。

思い出に逃げ込んでばかりいないで、

きちんと前を向いて生きていかなくてはいけないなと。

自分を律していく気持ちが沸き起こってくる。

 

ガンバレ自分。

マケルナ自分。

デキルゾ自分。

 

自分で自分を鼓舞しながら、

これからも親孝行と小学生子育てをやっていこうと思う。