冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

母のチョコと、父の言葉と


こんにちは、冬菜かしこです。

今日も暑いくらいの一日で、帽子も夏仕様にして過ごしました。

 

先日の実家訪問が雨で順延になったので、

今日は私が一人で実家に行きました。

暑いので、持って歩くと溶けるといけないと思い、

実家近くのお店でチョコレートを買い、

母へのお土産にしました。

 

少し前の実家訪問で、母と二人でチョコレートを頂きました。

母の好きな「ラミー」の姉妹品のマスカット味のチョコレート。

富士屋の「ルック」に似ていて、中がマスカット味になっているのを食べながら、

あーだこーだと、話に花が咲きました。

結局、以前からある「ラミーが好き」に落ち着き、

しみじみとその美味しさを語り合ったのです。

「あのラムレーズンが絶妙なのよねー」とか。

 

その楽しさがあったので、

今回は別メーカーの「ラミー」によく似た仕様の

チョコレートを買ってみたというわけです。

それが、これです。

明治の「メルティーキス くちどけベリーミックス」です。

ベリーとオレンジピールが入っているとのことで、

母も私も興味津々でいただきました。

チョコに白っぽいものが入っていて、

箱の説明を見ると、どうやらオレンジピールらしい。

ですが、さほどオレンジ味が強いわけでもなく、

お酒につかりまくっている風でもなく、

わりとさっぱりとしたオレンジピールでした。

 

これはこれで、好きな人もいると思いますが、

結局、母も私も「やっぱり、ラミーが好き」となりました。

これで2連敗です。

多分、「ラミー」に勝つのは出てこないんじゃないかな。

少なくとも母と私にとっては、

これを超えるのはかなり至難の業のようです。

 

だけど。

こうして、食べ比べをするのは楽しいです。

「ラミー」の会社や「ラミー」のファンからすると、

ライバル商品は少し困るそんざいかもしれません。

それでも、母も私もそれを飛び越えて楽しんで、

いっそう「ラミー愛」を強くしているのです。

だから。

これからも姉妹品、ライバル品、しっかりと食べ比べていこうと思います。

 

ビバ、ラミーチョコ女子!

(女子?)

 



こちらは今朝、実家近くの100円ショップで200円で購入し、

母にプレゼントした花瓶です。

出かけに摘んだ、庭先のバラや大根の花などを切って生けました。

実家でいつも使っている花瓶は、2つともとても重く、

母が一人で水替えできないので、

軽いものを贈ったのです。

 

冬の間は、私の週一回の訪問時に水を替えて、

そのくらいの頻度でも良かったのですが、

ここ数日は夏日の暑さなので、

さすがに問題だなと思いました。

 

実際、うちの家の花瓶の花は、

一日水を替えなかっただけで、少し、ぷんと匂います。

今回贈った花瓶は、少し小さいし、

見栄えもそれほどでもないですが、

とりあえず当面は、これでいこうと思います。

きちんとした花瓶は、またいつか。

素敵なものを見つけて、プレゼントしたいなと思います。

 

 

さて、父の方はと言うと、今日はのんびりしていました。

最近、食事を摂らないということで、

母が今朝、病院に連れていき、点滴を打ってもらったそうです。

点滴で栄養を補給した父は、ようやく元気を取り戻し、

病院から帰宅するとすぐ、お昼時になっていたので、

母がすすめた焼き芋をぱくぱく食べていました。

その様子を見て母と私は、ひとまず安心しました。

 

それにしても。

今朝、父を病院に送った母が、私の訪問のために一旦帰宅し、

「病院から歩いて帰ったので、くたくたー」と言うので、

病院へのお迎えは私が請け負ったのですが。

 

病院で父の点滴終わりを待ち、

病室から出てきた父に「お父さんっ!」と声をかけると、

首をかしげて、こう言いました。

「あんたは、ちょっと知っているような顔だけど、どちらさん?」

 

その時の私の格好は、麦わら帽子と、大きなマスク。

加えて、声をかけた場所が実家ではなく、病院の待合室。

気づかなかったとしても、仕方ないかもしれません。

 

一瞬、ひるんだものの、気を取り直して、

「○○(私の名前)、○○(私の名前)だよ」

と自分の名前を連呼しました。

すると、ようやく父の顔がほころんで、

「ああ、○○(私の名前)かあ、こんなとことにいるから、分からなかったー」

と言ってくれました。

 

帰宅してから母に笑い話として話し、

「この格好してたの」帽子とマスクをつけて説明すると、

「そりゃ、分からないわー」と言って、なぐさめてくれました。

 

それでも。

私にとっては少なからず、ショックを受けたので、

しばらく、このことが頭から離れませんでした。

昔なら、こんなことはなかったのです。

まさか、娘の顔をはっきりと認識しない日がくるなどとは。

 

実家に帰ってからは、父も落ち着いて、

湿布を貼ってあげたり、手を握ってあげたり、

なんとはない会話をしたり。

普通のいつもの様子でした。

ただ私一人だけが、少しだけそわそわとした思いを胸に残して、

時間を過ごしていました。

 

そんな中、父がふと、私に力強く声をかけました。

「どこか、働きにいくのか?」

心配そうにそう聞くので、

「いかないよ」

と答えました。

すると、父は心配そうな声で、励ますように、

「しんどい思いをして、働かなくてもいいよ。

いざとなったら、お父さんが○○(私の名前)にお金をあげるから」

と言ってくれました。

 

来年80歳を迎える父は年金受給者です。

資産家でもなければ、不労所得者でもありません。

資産らしいものと言えば、

固定資産税のあまりかからない実家の古い家や、

田舎の畑や、山奥のほとんど値のつかない山があるくらいです。

私にお金をあげる余裕など、到底あるようには見えないのが現状です。

そんな状況なのに、まだなお、娘を気遣うのです。

認知症になって、あまり複雑なことは分からなくなったというのに。

 

認知症になった父は、

娘にお世辞をいうことも、

駆け引きをすることも、

そういう一切の計算はできません。

 

でも、だからこそ、父の言葉には、

なんのまじりけもない、

本心が込められているように思えるのです。

そのことが私の胸に大きく広がって、

「ああ、父の娘なのだと。

認知症になってもなお、父は私の父なのだと」

私の心にしみてきました。

 

大した親孝行などしていない娘です。

時には優しくない言葉をかけたこともある、

心配をかけてしまったこともある、

そんな大したことのない娘です。

それなのに、娘というだけで、

こんなにも優しく守ってもらえるのです。

 

この先、

病院で、帽子をかぶって、マスクをしている、という場合ではなく、

実家で、帽子をかぶらず、マスクもせず、そういう場合にでも、

父が私を、もう娘だと認識しない日が来たとしても、

私は今日という日のことを、忘れないと思います。

 

それは認知症によって、

どんなに父が変わってしまっても、

一番大切なことは変わっていないということを、

父が教えてくれた日だから。

 

お父さん。

ふつつかな娘ですが、

これからも、末永くよろしくね。

いつまでも、お父さんの娘でいさせてくださいね。

 

明日も素敵な一日になりますように☆