冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

実家での「母の日」

 

こんにちは、冬菜かしこです。

今日は半袖でも暑いくらいの一日でした。

 

朝から子供の水泳教室に行ったものの、

昨日ワクチンを打った二人娘は、72時間は水泳練習できないとのことで、

予定よりも早くに、実家に行くことになりました。

大型連休中は行けないかなと思っていたので、

最終日だけれど行けることになって安堵しました。

 

実家到着の少し前、実家からスマホの電話があり、

「お父さんが庭の木を丸坊主にしたけど、驚かないでね。

お父さんを責めないで上げてね」

とのことでした。

それぐらいのことで電話?、と思ったのですが、

到着してようやく理解しました。

庭のサクランボの木が見事に切られて葉がなくなっていて、

バラも枝という枝を切りまくっていて、葉は全くなく、小さくなっていました。

見事にやられたなと、確かに驚いてしまいました。

 

実家に着くと玄関には、3つの花瓶があり、

庭から摘んだらしき花が生けてありました。

母が名残惜しそうに生けてあるバラを見て、

「このバラが最後」と言っていました。

 

こういうのは、小さい子供がよくやるいたずらです。

うちの子も、小さい頃は庭のプチトマトの青い実を片っ端からもいでいき、

何度も私を落胆させていました。

どうしてこんなこと?と思いながら、果てしなく続くこのいたずらに、

心底うんざりしたことも、1回2回ではありません。

 

でも。

小さい子供のいたずらは、いつか時が来れば、

そのうちに収まるものです。

けれど、後期高齢者の父は、直っていくことはないでしょう。

むしろどんどん、その度合いは激しくなって、

しまいには手が付けられなくなるのでしょう。

それを思う時、うんざりというよりは、

「こういうのが始まったのか」という、

覚悟の方が大きいような気がします。

生半可な気持ちでは、すぐにくじけてしまいます。

今までのような予測ではだめで、

もっともっと、父の行動を先読みしていく必要があるのだと、

改めて覚悟を決めようと思いました。

そして、それは母も同じようでした。

 

実家に着いたのがお昼なので、

朝から主人が作ってくれた、

おにぎりとから揚げのお弁当をおいしく頂き、

そのあとは各自好きなように過ごしました。

 

実家のすぐそばが小さな公園なので、

主人と二人娘は公園に出かけました。

私と母は台所で、近況報告や兄への愚痴や、

現在の困りごとなどを話しました。

 

この4月から近県に異動してきた兄ですが、

奥さんの都合で、週に一度は奥さんの元に帰っているそうで、

実家へ顔を出すのは、あまりできない、とのことです。

少しは兄が頼りになるかと思っていた私は、

そのことが不服で、母に愚痴をこぼしました。

それでも母は、「あまり事を性急に動かそうとしても無理ですよ。

少しずつ少しずつ、自分の希望を伝えていくのですよ」

と、自分の考えを教えてくれました。

確かに、あまりに色々要求されると、いやになるかもしれません。

さすがに年の功だと感心しました。

 

そんな兄ですが、昨日は朝実家に来て洗濯機を買ってくれ、

夕方に帰っていったそうです。

その様子を見た母は、日帰りできる近距離に兄がいてくれることが

心強いようで、「近くに異動して来てもらってよかった」と、

喜んでいました。

電話で連絡すれば、日帰りで着てくることが出来る、というのが、

安心感につながったようでした。

兄も、奥さんの方が落ち着いたら、

当初の予定通り、月に何回かは実家に来てくれると思うので、

母の教えに従い、ことを急がず、兄の実家手伝いに期待しておこうと思います。

 

それにしても、昨日、母から電話があって、

「父が夕方6時から9時半まで行方知れずで、

警察に捜索を依頼した」と聞いていたので、どうなることかと思っていましたが、

思ったほどには父は変わってはいないようでした。

でも、庭の物置のドアを開けたり閉めたり、

庭の花や木を丸坊主にしたり、

やはり少し、認知症が進行したようにも見えました。

 

いつまでも、現状維持ではいられない、ということなのかもしれません。

この先、認知症が進行すれば、ショートステイなどの方法も、

視野に入れなければならないかもしれません。

その時になってあわてないように、

今から少しずつ、情報を集めていこうと思います。

こんな風に、親の老後の世話をする日が来るなんて、

ほんの数年前までは思ってもいなかったのに。

人と言うのは、意外とのんきなものなのかもしれませんね。

いままで介護をせずにこれたこと、

今でも、大掛かりな介護をしないで済んでいること。

そのことを思えば、なんだかんだで、

意外と恵まれていたのかもしれないな、

などと、思ったりもしています。

 

さて、今日は母の日です。

外出が嫌いな父にお留守番を頼んで、

いつも恒例の、近くの中規模ショッピングモールに母と私の家族で行きました。

恒例の31アイスは、いつものスモールではなく、

主人の提案で、レギュラーにして、美味しく頂きました。

その後は、子供を主人にまかせてゲームに行ってもらい、

私は珍しく母に「洋服でも買うよ。母の日だし」と言って、

二人で春物の服を見に行きました。

でも店舗内のお店は大規模リニューアルされており、

母の買うようなお手頃洋服屋さんがなくなっていて、

思うようなものが見つかりませんでした。

大きいサイズだったり、オーバー1万円平均の価格帯だったり。

結局今回は見つからずじまいで、「また今度」ということになりました。

まあ、母が一人で色々見て、そのうちに好きなものを見つけてくれるでしょう。

スポンサーとして、気長に待つことにします。

 

一通り各自が見たいものを見て、食べて、得心し、

お留守番の父へのお土産のアイスを買って、

実家に帰りました。

 

父はおりこうさんに待っていてくれて、

「やれやれ、徘徊しないでくれて良かった」

と、私は一人胸をなでおろしました。

昨日の徘徊のことがあり、出来るだけ父の背中や腕や手のひらをさすり、

安心してもらうように努めました。

その成果か、帰宅する時の父は、ずいぶん気持ちが落ち着いていて、

車の窓から父を見る私の顔を、

しっかりと見て手を振ってくれました。

母は、家の前の道を曲がる瞬間まで、ずっと手を振り続けてくれていました。

 

困難なことが多いのが人生だなと思います。

介護をしていれば、なおさらそれを実感します。

それでも。

親がいなければ、そんなことも考えません。

泣くこともない代わりに。

笑うこともありません。

感情が大きく振れることも、起きてはくれないのです。

 

いい父だったのか、いい母だったのか、いい娘だったのか。

私たち親子がいい親子だったのかなど、分かりません。

少なくとも100点満点の親子でなかったことは、間違いありません。

ぶつかったり、言い合ったり、自分の気持ちを優先したり。

それでも。

それはそれでいいのではないかと、思っています。

たまたま親子になっただけ。

それでも親子になったらなったで、

なんとかかんとか、いろんなことを与え合ってきたように思うのです。

 

若いころのように、父母を頼ることは出来ませんが、

若いころのように、父母に何もしてあげられない、ということもありません。

つまり。

こんな感じでいいんじゃないかな、と思っています。

流れるように、なんとなく、お互いに頼り頼られて。

そんな感じで、やっていけば、いいんじゃないかな、と思っています。

 

父が丸坊主にした木の枝を、

母がプランターに植えてと言うので、

4本ほど植えました。

そうやって何度でも、

間違ったらやり直せばいいのかもしれません。

1本でも再生したなら、めっけもん、だと思っているのです。

ひとまず。

私は健康です。

それだけで明日への希望は、あるような気がしているのです。

 

明日も良い一日になりますように☆