冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】祖母の百歳祝い

さてさて。

いつもは親の介護やら家事手伝いやらのお話だが、

今日はちょっと違って、祖母のお話。

というのも、今日は祖母の家に行ってきたのだ。

数か月前に百歳のお誕生日を迎え、

役所の方に百歳のお祝いをいただいた祖母宅に行き、

ささやかなお祝いをしたというものだ。

 

とはいえ、特別なものは何もない。

いつものように近所のうどん屋さんのおうどんを祖母宅でいただき、

おばさん(祖母のお嫁さん)にケーキとコーヒーを出していただき、

あとはのんびり、おしゃべりをするだけ。

 

前回は確か、一年半ほど前に行ったきり。

久しぶりの祖母宅は、おばさんがお花をたくさん植えており、

お庭にはちょっとした小道らしきものも作っていて、

楽しいお庭になっていた。

以前はずっと祖母がお庭を手入れしていて、

おばさんはほとんど手を入れることはなかったのだ。

おそらく気を使っていたのだろう。

今思うと、少し気の毒な気もする。

同居とは、良い面もあれば、難しい面もある。

そういうことなのだなと、なんだか考えてしまった。

 

お庭と同様に、近所にある畑もおばさんが、

ぶどうやら、野菜やら、お花やら、

いろいろしていた。

たくさんのものを植えていて、

祖母の時代とはまた違って様子で、

それはそれで見ていて楽しそうだった。

 

話がそれたが。

肝心の祖母と言えば。

ちょっと見ないうちに、

物忘れが進行したようで、

会話が時々難しい時もあった。

一か月近くショートステイして、

二泊三日ほど自宅に帰って、

またショートステイに戻るという生活をしている祖母。

ショートステイ先でのベットと、

自宅での畳に布団と、

ごちゃごちゃになって話をしている時があり、

「んっ?」と思っているとおばさんが察して、

ショートステイ先とまちがえてるんよ」と教えてくれた。

 

今日、一緒に行った私の母(祖母の娘)の名前も、

すぐには思い出せなかったようで、

「しばらく名前を呼ばれなかったからあせった」

と母が笑っていた。

私の名前はどうやら出てこなかったらしく、

最後まで名前は呼んでもらえなかった。

「おじょうさん」と呼ばれるままに、

「はい」と返事をし、

話を合わせておいた。

前回は、私と妹の情報が混合していたが、

ついにそうしたことも、あやふやになっているようだった。

それでも。

じいっと私の目を見る祖母の目は優しく、

何かを包み込むように、

もしかしたら少し分かっているかのように、

いくらかのお話を私にしてくれた。

 

母とおばさんと私。

そして、小さく背中をまるめて鎮座している祖母。

女三人で祖母を囲んでおしゃべりに興じて、

あんなことがあった、こんなことがあったと、

次々とお話に花を咲かせた。

 

ふと。

私は祖母の言った言葉で、大好きな言葉があるのを思い出し、

それを母とおばさんとに披露することにした。

「私がおばあちゃんの言った言葉で、

一番好きなのがね。

 

私は顔も頭も良くないんだけどね。

私。

性格はいいんよーーー(私)

 

っていう言葉なのよ。

この言葉を聞いて、

おばあちゃんが大好きだなーって思ったの」

 

そういうと母とおばさんは大笑いして、

思いのほか受けていた。

いつも大して笑い話をする風でもない祖母。

でも意外とこういう、

ひょうひょうとした楽しい話し方をする人だった。

決して自慢話はしないし、決して天狗にならない人だ。

いつでも冷静にその場の雰囲気を見ていて、

なんとなくいい感じに場をまわしていくのだ。

 

祖父(祖母の夫)は若くして亡くなったので、

未亡人で苦労したのだと聞いたことがある。

戦後の日本ではよくある話で、

決して珍しい話ではないようだ。

それでも。

きっと。

「祖父(祖母の夫)が生きていたら」

と、何百回、何千回も思ったことだろう。

それは私には決して分からない世界。

それでも祖母の背中を見ていると、

「頑張って生きるのだ」と、

いつも語っていたように思うのだ。

だからこそ。

優しかったのだと思う。

 

今日は、母の送った濃い紅色の胡蝶蘭と一緒に、

母と祖母と胡蝶蘭とで、

写真を撮ってあげた。

穏やかな祖母の顔をみていると、

変な話だけれど、

「ああ、十分に生きたのだな」と思えてきた。

まだまだ長生きできるだけ、

しっかり生きてほしいと思う反面、

もう無理しないで、

あとは穏やかに過ごして、

天寿を全うしてくださいと言う気持ちとが、

ゆるやかに結った縄のように、

穏やかに私の心に広がっていった。

 

百歳のお祝いに来たかったのは、

もしかしたら、

「百歳の領域というもの」

に触れて見たかったのかもしれない。

そして思ったのは、

個人差はあるのだろうけれど、

百歳と言うのは、

今までの自分の領域を超えたところに行くような、

そんな感じなのだろうなということだった。

良くも悪くも、いろいろなものをそぎ落として、

余分モノをあきらめて、

そしてゆっくりと一歩ずつ歩を進めることなのだということだ。

 

いつか自分が百歳になり、

今の祖母の領域に足を踏み入れた時に何を感じるのか。

もしも百歳になったとしたら、

その時は今の自分の考えをもとに、

答え合わせをしてみようと思う。

 

口から何度も「一番いい(高値の)入れ歯」を出して、

私たちに見せてくれたり、

以前は口にしなかった牛乳を飲み始めて、

「これが体にいい」と言って、

まだまだ長生きしそうな予感を感じさせてくれたり、

これからも目が離せない面白い祖母。

 

ひとまず。

「おばあちゃん、百歳おめでとう!」

これからも、よろしくね!