冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

家主のいない帰省、再び

 

こんにちは、冬菜かしこです。

いやはや暑い毎日で、クーラーの効きが悪くなるのも分かるっていうものです。

 

さて、全国的なお盆真っ最中の中、

我が家もご多分にもれず、隣の県の主人の実家に帰省してきました。

朝食後に準備をして、朝の10時には家を出発し、

なんとか渋滞もなく到着することができました。

 

今回の帰省は、前回のような渋滞を避けるため、

午前中には出発したかった私。

それを通すため、「昼食は私のおごりでいいから」と主人を説得し、

なんとか思ったようにスムースに進むことができました。

二人娘も「昼食のケンタッキー」を喜んでいたので、

まあ、良かったと思います。

思わぬ出費が発生しましたが、

渋滞でイライラするよりましだなあと、思っています。

 

主人の実家に到着すると、家主である主人の両親は老人ホームに入居しているため、

当然ですが誰もいなくて、がらんとした様子でした。

前回は初めてのことだったので、

しんみりした思いがあふれて、ずっと心が湿っていました。

ふとした瞬間、ああ以前はにぎやかだったなだとか、

義母とあれをした、義父とこの話をしただとか。

あれやこれやと思い出しては、

感傷的になっていました。

 

でも二回目ともなれば少し慣れた感じで、

自分たちの持参したタオルをセットしたり、

応接間のクーラーをつけてくつろいだり、

それなりに生活をしていく気持ちなれました。

それがいい事なのかは分かりませんが、

少なくとも気持ちが沈みこんでしまうよりは、

助かったなと言う気がしています。

慣れることが良いとは限りませんが、

慣れていくことに救われることもあるのかもしれません。

 

主人の実家の初日は庭の草刈りをしました。

主人の腰痛をかばい、退院した私が行うことにしました。

さして多くもない草でしたが、面積が広いのでそれなりに時間もかかり、

結果、腰痛がぶり返しそうになり、

後であわててコルセットを装着しました。

暑い中ですが、痛みが長引いて固定しては困ります。

無理は禁物だなと、改めて自戒しました。

(庭には、白百合と、名前の分からない白い花が、元気に咲いていました)

 

二日目は車でデパートに出かけ、義理の両親へのプレゼントを買いました。

いろいろ悩んだ末に、靴下とタオルを選びました。

義母には明るい淡いピンク色のタオル、義父には薄い水色のタオル、

それに二人娘が選んでくれた靴下を合わせました。

以前はポロシャツなどを選んでいましたが、

老人ホームでは着てもらえるのか分かりません。

もし使わなくてもあまり気持ちにダメージを受けない、

ちょっとしたものにしておきました。

「せっかくプレゼントしたのに使ってくれないなんて」と、

いらぬストレスをお互いに持ちたくないと思ったのです。

使われなくても別にいいよと、

それくらいの軽いものにしておきました。

 

その後は義理の妹さんに教えていただいた近くにできたばかりの道の駅に行き、

そこの総合遊具で遊びました。

無料であるため順番待ちをしましたが、

それでも木やロープがメインの体に優しそうな屋内の遊具は、

滑り台もお絵かきスペースも、ままごとキッチンも、複合木登り遊具も、

どれもが新しく楽しいものでした。

二人娘も楽しく遊んでいて、

小5の長女は年齢制限上、今回が最初で最後の遊び場でしたが、

楽しいを連発していました。

「お姉ちゃんと遊びたい!」と言っていた次女も思いが叶い、

とてもうれしそうでした。

 

そんなこんなで帰省生活を楽しんで、

最終日の三日目はいよいよ老人ホームに行きました。

義理の妹さん一家と実家で昼食をいただき、

義理両親への寄せ書きを書き、

プレゼントも用意して、老人ホームに向かいました。

「今回は疫病の関係で、面会は出来ません」との報告は受けていました。

それでも、「もしかして」とのかすかな期待を抱いて、

うちは家族4人が総出でホームに出向いたのですが、

やはり義理両親に会うことは叶いませんでした。

 

義理の妹さんが着替えやら色紙やらプレゼントやらを職員さんに渡し、

説明が必要なものは説明をして、ホームを後にしました。

私は一応「どんなものがホームで使えるのか」を聞いてみました。

パジャマなのか部屋着なのか、スリッパは持ち込みなのか、

タオルは、ハンカチは、持参したものを使うのか。

一通り聞いて要領が分かり、次回のプレゼントの参考に話を聞くことができました。

会うことは叶わなくても、プレゼントを渡すことで、

確かに来たよとの思いは、少しは伝わるかなと、

そんな風に思ったりしました。

 

ホームの後は実家に戻り、帰り支度をしました。

高速を使っても3時間はかかる道のり。

うかうかして渋滞に巻き込まれても困ります。

夜道の高速など怖すぎるので、早々に帰宅の途に就くことにしました。

荷物を車に詰め込んで、あとは義理の妹さん一家にまかせて、

さあ帰ろうとなった時、ふと、一抹の不安が頭をよぎりました。

帰省中ずっと気になっていた、いままでにない、義理の妹さんの疲労の表情に、

どうしても聞かずにはいられませんでした。

 

「介護の、お財布事情は大丈夫ですか?」

義理の妹さんの答えの前に、言葉を繋げました。

「3、4年は大丈夫ですか?」

その問いにようやく、

うなずいてくれました。

「お財布が厳しくなったら、一年前くらいには教えてください。

協力します。でも、来月から無理です、とかはやめてくださいね。

うちも、お金ないです、ってなりますから」

と笑いながら伝えました。

決して安くはない実家の維持費です。

その上に老人ホームの費用が追いかけてきます。

それを一人で抱えている義理の妹さんの負担たるや、

決して小さいものではないでしょう。

その荷物はやはり私たち一家も、一緒に背負わなくてはならないものだと、

そんな風に思っているのです。

 

もとは病院に入院していた義父です。

長期入院できないから、急いで入居した老人ホームです。

雰囲気も良く、実家に近い場所にあり、とても感じの良い職員さん達です。

でもその費用は決して安価ではなく、

どこまで続くのか、どこまで続けられるのか、

経済事情を知らない私ですら、少々心配になってきます。

 

有料老人ホームは居心地はいいのでしょう。

栄養バランスの摂れた食事、規則正しい生活、優しい職員さんたち。

それは終の棲家としては理想的だと思えます。

でも一方で、あまりにも快適すぎて、健康が持ち直して、

思った以上に長い長い入居生活になり、

結果として資金が不足してしまうことも少なくないようです。

 

確かに前回、義理の両親は老人ホームに入ってから、

肌つやがものすごくよく、お元気になられたように見えました。

さしてストレスがないようにも見え、職員さんも優しく接してくれていました。

「家に帰りたい」と姑さんは愚痴をこぼしていましたが、

それでもお元気になられた様子は疑いようもなく、

紛れもなく健康になられたと、私は思っていました。

舅さんも体の不自由さは残っているものの、

こざっぱりとした雰囲気で、

実家にいた時のようなくたびれた感じが抜けた感じがしていました。

 

常々思っていることがあります。

「実の両親も、義理の両親も、

100歳になるまでは、長生きを願っていこう」と。

もしも100歳を超えたら、その時は私も高齢者になるので、

行政に相談して、やっていこう、と。

だからどんな状況でも、

「両親が100歳になることを願えるか?」で判断しています。

 

あまりにも過剰や親孝行は無理があり、

長くは続けられません。

だから、ほどほどの親孝行をしています。

あまりにもお金がかかる親孝行も無理があり、

到底100歳までを願えません。

だから、ほとんど資金援助はしていません。

 

「人生の最後の期間を、最高の幸せで見送ってあげたい」

というのは、理想としてはあります。

でも「いつが最後なのか?」は、誰にも分からないのです。

両親が思いのほか長く長く生きたおかげで、

「こんなはずじゃなかった!」と、資産が底をついてから後悔しても、

自分も両親も辛いと思うのです。

一文無しになって老人ホームを退去せざるを得なくなった両親を、

自分の費用負担で介護することができるのか、

その時自分も70歳代で、果たして恨めしい気持ちがなく、

介護ができるのか。

私には到底、自信がないのです。

 

だから。

実家の両親も、義理の両親も、100歳まで長生きしてほしいと、

本心から願えるように、

無理のない生活設計を提供してあげたいと思っています。

最高の人生の最後の生活、とはいかなかったとしても。

「子供たちも、孫たちも、長生きを願っているよ」というのが、

私にとっては悪くない人生の最後の生活だと思っているのです。

 

細く、長く、質素に、年越しそばのように。

そんな親孝行を目指していきたいなと、思っているのです。

長生きしてね、お父さんたち、お母さんたち。

ふつつかな娘、嫁ですが。

 

明日も素敵な一日になりますように☆