こんにちは、冬菜かしこです。
今日も真夏らしい暑い一日で、クーラー部屋を出ると汗が噴き出ます。
さて、ここ2か月程、当ブログを休んでいました。
理由は6月最初に右肩を打撲して、それをかばって生活していて腰を壊し、
6月半ばから9日間ほど緊急入院していたからです。
(詳細は姉妹ブログ、『冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々』
にて説明をさせていただいています)
でもまた今日から、このブログにて、色々なことを綴っていきたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
さてさて、入院中は腰が痛くて痛くて。
圧迫骨折を経験している実家の母に電話して、
何度も何度も話を聞いてもらいました。
母は自分の経験をもとに、励ましの言葉やら、分かるわーといった賛同やら、
たくさんのお話をしてくれました。
何より、「ピキーン、という激しい痛み」について、
「死にそうな痛みだよね」と二人で痛みの度合いを確認できたときに、
「一番欲しかった言葉は、これだよ」と思いました。
経験した人にしか分からない言葉。
でもどんな言葉よりも胸に突き刺さる言葉。
分からないことを「分かる」と言わず、
分からないことは「分からないけど」という母の正直さが、
私の弱った心にしみてきて、
ああ、母が元気でいてくれてよかったと、思いました。
電話で話をして、痛みを分かち合ってくれた後、
私が電話を切る直前に母に欠けた言葉は、
「長生きしてね、お母さん」でした。
母は、からからと笑い、
いつものおおざっぱな声で電話をおえました。
昔から泣き虫な私と違い、
昔からずっと、何事にも動じない母。
いつも母を支えている気でいたのにと、
そんな風に思っていたのに。
実は私が母を頼りにしたのだと、
思い出したりしました。
入院前は毎週一回は実家に行き、
家事手伝いをしていましたが、
正直、どのくらい役に立っているのかはわかりませんでした。
でも、今回2か月以上も行けてなくて、
それでも母はきちんと生活できていて、
「やはり私の手伝いなど、微々たるものだったのか」
とも思っていたのですが。
先日、実家の母に電話して「8月は小学生の娘を見ないといけないけど、
9月になったらまた、毎週一回は実家に行って手伝えるから」
と伝えると、母は「ああ、そう」と少し明るい声で返事をしてくれました。
その声で、私は、気が付きました。
「ああ、喜んでいるのだな」と。
何事も耐えて、我慢強い母です。
少々の事では動じません。
それでも私の訪問を喜んでいるということは、
私の毎週の家事手伝いは役に立っていたようです。
そうならば。
また9月から張り切っていくしかありませんね。
8月は二人娘と主人と4人で顔を出し。
9月からは私一人で家事手伝いにいそしみましょう。
今回の入院は「ぎっくり腰(重度の筋膜損傷)」だったけど、
母の「圧迫骨折」の辛さが分かるぐらいの、
激しい痛みだったから、
母とそういう腰痛のお話ができそうです。
どのような家の中の配慮をしたら、
これ以上けがをしなくなるかも、一緒に考えていけそうです。
私も腰痛の経験者なので。
そして、入院中の隣のベットのおばちゃんが、
人工関節の手術をしている人だったので、
その話もしてあげたいです。
80歳を過ぎて体力が落ちたら、なかなか手術をするのも難しいと、
教えてもらったりしたのです。
78歳の母もそろそろ、真剣に考えるべき時なのかもしれません。
そのおばちゃんが車の運転をしていると聞いたので、
母ももう少し出来るかもしれないと、
少しだけ思って見たりします。
雨の日は自転車では、転ぶと骨折しそうで怖いのです。
約2か月も実家に対して何もできず、
自分のふがいなさを痛感していました。
それでも今回の6月の入院を経て、
私にはいろいろな気づきがあったのも事実です。
母の腰の痛みを私も感じて、理解できた。
人工関節の人の話を聞くことができた。
マイナスばかりだと嘆いていては、
何も得るものがありません。
せっかく痛い思いをして、辛い思いをして、
家族に迷惑をかけて、入院したのです。
ここから何かを学ばなければ、全くの損だけです。
そんなのは、望みません。
この入院経験を生かして、今まで以上に周りの人に、
何かを与えてあげられるようにしたいと、
そんな風に思っています。
私の6月の入院は、とっても痛い経験でしたが、
とても貴重な経験でした。
きっと何かのプラスにしたいと思います。
『転んでもただは起きぬ』
私の大好きな言葉です。
明日も楽しい一日になりますように☆