冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

長電話をする秘訣

こんにちは、冬菜かしこです。

今日は洗濯物がそよそよと風になびく、まあまあ暑い一日でした。

 

日頃実家に電話した時に、母とはついつい長電話になります。

もともとよくしゃべる母なので、私もついつい近況だの愚痴だの相談だの。

なんだかんだと話題を出し合って、気が付いたら30分。

日によっては1時間近くになることもあります。

実家の電話代は昔の高額契約のまあなので、

1時間もしゃべると結構な出費になるそうで、

大体は私から電話し、

もしも母から電話がかかってきても、

すぐに「かけ直す」と言って一旦電話を切ってかけなおします。

 

そんな具合なので、母との電話について、

「話をつなげて長く話そう」と意識したことはあまりありません。

まれに母が疲れている時や不安そうなときには、

「どうしたの?」と徹底的に聞き役に回り、

困りごとを聞くようにしているのです。

でもそれも稀なこと。

ほとんどの場合には、気が付けば結構な長電話、となることがほとんどです。

 

ところが、認知症の父の場合は違います。

父もわりと良くしゃべるタイプで、

実家にいる時には父と母がよくしゃべっていて、

「実家の両親が会話が少ない」などと気をもんでいる話や記事を見かけても、

「そんなこと、あるんかいなー」とのんきに思っていました。

 

もちろん、プロの話し手ではないので、

聞いていて心地いいテンポのいい会話や、

中身のある充実した内容とはいきません。

大抵の場合、母が「お隣さんに大根もらったのよ」だとか、

父が「この政策はいかがなものか」だとか、

おのおのに気になっていることを好きに話していました。

 

父が認知症になってからは、母が、

「お父さんと会話にならない」とこぼしていて、

確かに「朝ごはん食べたい」を、朝食後に一日3回も4回も言っていて、

これは会話が難しいよなと理解しました。

 

実家に行くのは週に一回なので、

せめて母に電話をした際には、父と少し話そうと思い、

それは母も同感なので、

母との用件が終わったら父と交代してもらうのですが、

これがなかなか続きません。

 

私が「今日は長電話して親孝行しよう」と気合を入れて、

次はこの話題、次はこの話、と必死に話をつなげようとしても、

なぜかそういう時に限って父は話をしたがりません。

折角長電話しようと意気込んでいるのにと、

そういうときは少々ガッカリしながら、5分ほどの電話を終えるのです。

 

たまには父がご機嫌で色々話をしてくれる時もありますが、

それはめったにない事。

父の脳内活性化のためにもおしゃべりしようと思っているのですが、

なかなかどうして、こちらの思うようにはいかないのです。

 

それに、どちらかというとご機嫌でおしゃべりな時よりも、

無口でおとなしい雰囲気の時の方が心配なので長く話したいのに、

それがかなわないことが多いのです。

 

この課題をずっと胸の隅の方に抱えながら、

毎回の父の電話を考えていたのですが、

今朝の電話で、ようやくその秘訣らしいものが見つかった気がしました。

それは「しゃべらないこと」です。

 

長電話する秘訣が、しゃべらないこと、とは?

それはこういうことです。

私はいつも自分の思うように話題を振って、父と話し、

父が話したことについて、自分の感想をとうとうと話します。

でも今日はふと、思いついたのです。

「黙ってみたらどうなる?」と。

 

私が黙ってみて、気まずい沈黙なら、うなづいてみよう。

どうしても父が会話の糸口を見つけられない時には、私が話題をふろう。

少なくとも会話のリードは、私ではなく父にしてもらおう、と。

 

今朝の父は良くしゃべりました。

本当におしゃべりが止まりませんでした。

私は黙り込むと変なので、うんうん、とうなづいたり、

「〇〇だな」と父が言えば「〇〇だねえ」とくりかえし、

父が楽しく話をするたびに、あははとか、えへへとか、

そういうちゃちゃを入れていきました。

 

不思議なもので、最初は様子見程度のおしゃべりだった父が、

そのうちに気がのってきて、それからこうだ、それからああだ、と、

次々に「普通の人の話」を始めました。

「えっ、こんな普通に話ができていたっけ?認知症はどこいったん?」

と思うほど、演説好きの父は、とうとうと演説をして、

自分の話に自分で悦にいっていました。

それははたで聞いていても、普通に効いていられる「普通の話」でした。

毎日朝ごはんの後「朝ごはん食べたい」を繰り返す人ではないような、

しっかりとした話でした。

 

そういえば。

少し思い当たる節がありました。

以前、私が話をリードしている時に父が、

「何言っているのか、良く分からんけど」

という言葉を多用していることがありました。

「私の話を理解するのが難しいのだな」と、その時は軽く流していたのですが、

もしかしたら、長電話できないのはそれが原因だったのかもしれません。

 

要するに私が話をすると、

「その話を理解して会話しないといけないけど、理解できにくい」

ということなのかもしれません。

今日は最初の話題から父に任せていたので、

父は自分の得意な話を長く話すことが出来たのだと思います。

 

例えば、英語で話題を振られてもなかなか、

その英語を理解するのが難しいから、

話をするのがおっくうになるけど、

自分で勝手に英語で「ハロー」だの「グッドモーニング」だの、

好きに話して良いならば、気楽におしゃべりできる、

というのに似ているかもしれません。

 

私は父本人ではないですから、

もしかしたら100パーセント正解ではないかもしれません。

たまたま今日もご機嫌だっただけなのかもしれません。

でも私はこれからもこの「しゃべらないこと」を試してみようと思っています。

何回か効果があったと分かったら、これを続けてみようと思っています。

万人に適合しなくても、少なくとも父にはあっているのならば、

そうしていこうと思っています。

 

電話口で父が最後に言いました。

「お母さんと、○○(妹)、○○(私)、○○(兄)、皆が元気ならそれでいい。

また孫を連れて遊びにおいで」

数か月前、私に二人の娘がいることなど、忘れていた父です。

でも最近は「孫を連れておいで」とよく言ってくれます。

「あきらめたら、そこで試合終了だ」とは、

有名なバスケ漫画のセリフだったかな。

今、私の心に響いていることばです。

あきらめない。

いつだって、前進できる。

そのことを信じて、またこれからも歩いていこうと思います。

 

明日も楽しい一日になりますように☆