冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

痛みを理解する

 

こんにちは、冬菜かしこです。

今日は家の中では靴下を脱いで生活するほどの暑い一日でした。

 

実家の母が圧迫骨折をして「動けない」と言っていたのは半年ほど前の事。

その時は実家に様子を見に行った際、

本当に動けないのを見て「気の毒に。出来るだけ用事をしてあげよう」

と思ったものです。

実際の痛みを分かることが出来なくても、

せめて何かお手伝いをしようと思っていたのです。

でも正直、どこかで「自分以外の人の事」だという意識があったのだろうと、

今ならば思うことが出来ます。

それは、なぜか。

理由は簡単で、自分が痛い思いをしたからです。

 

昨夜寝る前に、パソコンでぶらぶらと見ていたら、蚊が飛んでいたので、

2匹、3匹と「パチン」としていたのです。

いつになく連続でパチンと成功していたので、

気をよくして勢いづいていました。

4匹目の時にも椅子から身を乗り出して、調子よくパチンとしようとしたその時、

私の両手は空をきり、体は斜め前にゆっくりと重力に引っ張られていき、

「あっ、何もない(つかむものが)」

と思っていると、ガゴンッ!と大きな音がして、

私の体は肩から木のフローリングに強打しました。

 

あまりの痛さにすぐには動けず、

それでも痛さが恐怖に代わり、一階の主人の所で事情を話し、

慰めてもらい、少し落ち着いてから、自分の腕の稼働領域を確認しました。

 

肘は大丈夫だけれど肩が駄目らしい、と感じました。

上にあげようとすると痛みが走り、

何より力自体が入りません。

「どうしよう?骨折していたら」

そう思うと怖くてたまらなかったのですが、

とにかく眠らなければと思い、布団に滑り込みました。

 

翌朝も腕は上がらず痛みはひかず。

仕方なく窓のシャッターは主人に開けてもらい、

料理と皿洗いだけは左手メインでこなし、

なんとかかんとか家事をしていきました。

 

近くの外科が今日は午前中のみの診察なので、

朝の用事を終わらせてからすぐに向かいました。

医師に椅子から落ちて肩を強打したこと、腕が上がらないことを訴え、

レントゲンを撮り、その結果、

「骨は折れてないようですね」とのことでした。

全身の力が抜け、安堵が胸に広がりました。

「家事が出来る」

そのことで、ようやく安心することが出来ました。

ワンオペ育児の主婦にとって、骨折は生活の停止を意味します。

家政婦さんを毎日頼める経済力は、

我が家にはありません。

実家は認知症の父と、以前圧迫骨折をして、よろよろ歩きの母だけなのです。

洋服を着るのも苦労する、自転車に乗るのもどっこいしょとなる、

そんな生活を昨夜からずっとこなしてみて思うのは、

「健康とは、かくもありがたいものなのか」ということ。

本当の意味で、ようやく私にも健康の有難さが分かった瞬間でした。

 

実家の母の「足が痛い。動くのが辛い」との言葉を聞いて、

私は何もわかってなかったのかもしれません。

でも今回の事で、身にしみてわかりました。

もちろん。

母の辛い心身の不調を丸ごと分かることはないです。

でも少しだけ、ほんの少しだけ。

母の痛みを理解するかけらは、見つけられたように思います。

まずは、「分かったような気にならないこと」なのだろうと、

右の肩の痛みを感じながら、

そんな風に思いました。

 

明日も素敵な一日になりますように☆