こんにちは、冬菜かしこです。
今日は家の中では靴下を脱いで生活するほどの暑い一日でした。
実家の母が圧迫骨折をして「動けない」と言っていたのは半年ほど前の事。
その時は実家に様子を見に行った際、
本当に動けないのを見て「気の毒に。出来るだけ用事をしてあげよう」
と思ったものです。
実際の痛みを分かることが出来なくても、
せめて何かお手伝いをしようと思っていたのです。
でも正直、どこかで「自分以外の人の事」だという意識があったのだろうと、
今ならば思うことが出来ます。
それは、なぜか。
理由は簡単で、自分が痛い思いをしたからです。
昨夜寝る前に、パソコンでぶらぶらと見ていたら、蚊が飛んでいたので、
2匹、3匹と「パチン」としていたのです。
いつになく連続でパチンと成功していたので、
気をよくして勢いづいていました。
4匹目の時にも椅子から身を乗り出して、調子よくパチンとしようとしたその時、
私の両手は空をきり、体は斜め前にゆっくりと重力に引っ張られていき、
「あっ、何もない(つかむものが)」
と思っていると、ガゴンッ!と大きな音がして、
私の体は肩から木のフローリングに強打しました。
あまりの痛さにすぐには動けず、
それでも痛さが恐怖に代わり、一階の主人の所で事情を話し、
慰めてもらい、少し落ち着いてから、自分の腕の稼働領域を確認しました。
肘は大丈夫だけれど肩が駄目らしい、と感じました。
上にあげようとすると痛みが走り、
何より力自体が入りません。
「どうしよう?骨折していたら」
そう思うと怖くてたまらなかったのですが、
とにかく眠らなければと思い、布団に滑り込みました。
翌朝も腕は上がらず痛みはひかず。
仕方なく窓のシャッターは主人に開けてもらい、
料理と皿洗いだけは左手メインでこなし、
なんとかかんとか家事をしていきました。
近くの外科が今日は午前中のみの診察なので、
朝の用事を終わらせてからすぐに向かいました。
医師に椅子から落ちて肩を強打したこと、腕が上がらないことを訴え、
レントゲンを撮り、その結果、
「骨は折れてないようですね」とのことでした。
全身の力が抜け、安堵が胸に広がりました。
「家事が出来る」
そのことで、ようやく安心することが出来ました。
ワンオペ育児の主婦にとって、骨折は生活の停止を意味します。
家政婦さんを毎日頼める経済力は、
我が家にはありません。
実家は認知症の父と、以前圧迫骨折をして、よろよろ歩きの母だけなのです。
洋服を着るのも苦労する、自転車に乗るのもどっこいしょとなる、
そんな生活を昨夜からずっとこなしてみて思うのは、
「健康とは、かくもありがたいものなのか」ということ。
本当の意味で、ようやく私にも健康の有難さが分かった瞬間でした。
実家の母の「足が痛い。動くのが辛い」との言葉を聞いて、
私は何もわかってなかったのかもしれません。
でも今回の事で、身にしみてわかりました。
もちろん。
母の辛い心身の不調を丸ごと分かることはないです。
でも少しだけ、ほんの少しだけ。
母の痛みを理解するかけらは、見つけられたように思います。
まずは、「分かったような気にならないこと」なのだろうと、
右の肩の痛みを感じながら、
そんな風に思いました。
明日も素敵な一日になりますように☆