こんにちは、冬菜かしこです。
今日は一日雨が続いていました。
今朝、8時頃に実家の母から電話があり、
「今日は雨が降っているから、うちには来なくていいよ」
と言われました。
「昨日からお父さんの機嫌も良くないし、
また怒ったら、外が雨だと逃げ場がないし。
車で来るのも危ないし」
との母の気遣いでした。
確かに以前、半年ほど前に実家の父が大怒りして、
良く分からない理屈を言ってきて、
主人が困り、次女が泣きだすことがありました。
「確かに、雨の中で、どこにも行けないし、やめておこうか。
お父さんがまた怒っても困るよね。
また旦那さんに言っておく」
と私は納得し、今日は行かないことにしました。
その後、主人にその旨を伝えると、
「確かに雨だし。やめておこうか」と了承してくれました。
それから私は二度寝をし、起きたのは9時頃でした。
そのころまた母から電話があり、話をすることになりました。
「雨がやみそうだけど、どうする?」と母に聞かれました。
「旦那さんと、今日は行かない、と話をしたので。
ころころ変えない方がいいと思うよ」
と言うと、母はすぐに、
「そうだねえ。あんまり無理を言わない方がいいねえ。
今日はやめておこう。旦那さんの負担にしないほうがいい」
と納得してくれました。
でも多分、雨がやみそうだから、来てほしかったんだろうな、
と思いました。
毎日、毎日、認知症の介護は、大変なんだろうな、
と思いました。
でも一旦行かないと決めた以上、
主人の心の負担を考えると、
あまり無理は言わない方がいいと判断しました。
いくら隣の市とは言え、車で一時間以上かかる場所です。
その上バイパスを通るのも、
雨だと混むだろうし、何よりスリップなどが怖いです。
子供連れなのだし、あまり危険なことはしたくないのが本音です。
「また今度、あんた一人で来てくれたらいいよ」
と、いつもの明るい声で母が言ってくれました。
「うん。また私一人で行く。
近いうちに家族でも行くから」
そう言って、母を励ましました。
雨が降るとどうしても、気持ちは少し、下がり気味です。
快晴の時のような、どこまでも気分が上がるという風には行かないのです。
それは、まだまだ元気な50代の家族暮らしの私でさえもそうなのです。
ましてや、認知症の父の介護をしている、78歳の母ならば、
その気持ちの負担は、決して小さくはないでしょう。
「おばあちゃんの家は、また今度行くことになりました」
と二人娘に伝えると、
「じゃあ、今度はいつ?いつ?」
と聞いてきました。
「来週か、再来週か、近いうちに」
と伝えると、
「じゃあ、5月1日?」
とまた聞いてきます。
近いうちに、とだけ答え、やんわりとかわします。
大型連休中は子供の用事があって、
多分無理なのです。
それでも子供を落胆させたくないので、
嘘にならない答えで、かわすことにしたのです。
「お母さんは怒ったら怖いけど、
おばあちゃんは怒らないし、怖くない」
次女が友達にいっているのを聞いたことがあります。
私が聞いているのを知らない時に言っていたので、
きっとそれは次女の本音なのでしょう。
二人娘、特に次女は、おばあちゃんが大好きなのです。
それは容易に分かること。
だって、本当に優しいのですから。
誰にでも優しい母。
小さいことに動じない母。
自分以外のすべての人が先生、と言い切る母。
「実るほど首を垂れる稲穂かな」を地で行く母。
娘の私から見ても、良くできた母だと思うのです。
だけど。
そんな母の話を知人の女性に話した時、
こう言われたことがあります。
「とても優しい人って、実は、
悲しいことを乗り越えた人なのよ」
その時。
ああ、そうだ、と腑に落ちました。
幼くして父を亡くした母は、
祖父母と母とに育てられたのです。
お父さんと言うものが良く分からないのだと、
母から聞いたことがあります。
きっとそれは、とても寂しい事だったのでしょう。
母の口から愚痴らしい愚痴を聞いたことはありません。
ただ。
「勉強に必要なノートや消しゴムは、
必要な時にきちんと必要だと言いなさいね」
といつも言っていました。
その時私は、「母は文房具を買えない時代に育った世代だから」と、
なんとなく、そう思っていたのです。
「ミカン箱で勉強していたのよ」
と言っていた母は、決して暗い顔はしなかったけれど、
日本中が貧しかった時代のことを、
やはり、寂しく思っていたのかもしれません。
大型連休が終われば、まもなく母の日がきます。
何を贈ってあげたら喜ぶのか。
また電話をして聞いてみようと思います。
庭にはスイートピーが咲き、
母の好きな紫の花も咲いていました。
そんなことを思い出しました。
これからも少しずつ、私なりに、
母との素敵な思い出を、積み重ねていきたいと思っています。
明日も素敵な一日になりますように☆