冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

バラ園にて

 

こんにちは、冬菜かしこです。

今日は朝から一日雨が降り、夕方になりようやく青空が見え始めました。

 

おとといの土曜日に、実家の母と私たち家族4人とで、

実家のある市にあるバラ園に行ってきました。

実家の父がデイサービスに行っている間に、

母の希望していたバラ園で、

日頃の気分転換をと思いました。

 

最初は父も一緒にと、母に申し出たのですが、

父がいるとどうしても「バラ園で認知症介護をする」という状態になるため、

母が一人の方が気楽だというもので、

それに従うことにしました。

 

数年前には父と母と一緒に訪れたバラ園。

その時には満開のバラをめでて、

一緒にバラ園中を歩き回って、

あちらがきれい、こちらが美しい、そこが満開だと、

わいのわいのと楽しんでいました。

今思い出すと、あれが父の認知症発症前の、

最後の楽しいバラ園だったのかもしれません。

もう二度とあのような父とのバラ園はかないそうにありませんが、

一緒に行ったことは良い思い出として、

心の中にそっとしまっておこうと思います。

 

さて、今回はバラの満開の時期に、

小学生の二人娘の体育発表会(運動会)や療育や疫病ワクチン接種や。

いろいろな行事が重なってしまい、

結局6月最初の土曜日となってしまいました。

庭のピンクのバラが満開を過ぎて、乏しい花数になっていたので、

主人が「バラは咲いているかなあ」と心配していたのですが、

予想通りバラは満開を過ぎており、

咲いてはいるものの、あちらに咲いて、こちらに咲いてと、

まばらな感じで咲いていました。

満開の時期は右を見てもバラが咲き乱れ、

左を見てもバラが咲き誇り、

360度どこもかしこもバラが咲いているのですが、

今回は残念ながらそういうことはありませんでした。

 

そのため、人の混雑はほとんどなく、

入園者はまばらになっていました。

気楽にぶらぶら歩いても、子供がぴゅーんと走り回っても、

誰かにぶつかる心配はほとんどなく、

まるで自分の家の庭のような感覚で、

きれいに刈られた緑の芝生の上をのんびり散策できました。

 

「菖蒲園があったよね」と母がいい、

バラ園の端に作られている菖蒲園コーナーに行ったものの、

まだ少し時期が早いようでかたくつぼみをつけているだけでした。

「バラもまばらだし、菖蒲もまだだし」と母と仕方ないねと話をし、

それじゃあ写真でも撮っておこうか、ということになりました。

 

二人娘は入園直後から「退屈ー、することないー」とぶー垂れていて、

写真も面倒くさいと言って変顔ばかりし、

主人と私とでなだめすかして写真を撮りました。

せっかくの母とのお出かけなのに困ったもんだと思いながらも、

なんとかスケジュール調整が出来て、

バラ園に来れてよかったと、そんな風に思う自分もいました。

 

二人がぐちぐち喧嘩をし、次女がいつものように少し泣いて駄々をこね、

ひととおりぐずった後は気が収まったのか、

機嫌も直り母と一緒に写真を撮ってくれました。

今回は珍しく母が「おばあちゃんと写真を撮って」と言ってきたので、

少しだけ胸が痛みました。

「いつでも行ける」と思っていたら、

写真などにこだわらないタイプの母です。

今回は出来るだけ母のひじを持ち、

一緒に歩いていて、「歩くのしんどそうだな」と感じました。

少し歩いては休んで、少しバラを見ては椅子に座って。

そうして頻繁に止まらないと、長時間歩くのは辛いようでした。

「いつまでこうして一緒にバラ園に行けるのか分からない」

そう思うと、「今日のこの時間をしっかりと過ごそう」と

思うようになりました。

まばらとはいえバラが咲いているバラ園はやはり母にとって、

「40年以上前に、自分の子供たちと一緒に何度も訪れた思い出の場所」なのです。

母も私もかみしめるように、園内を歩いて、バラを見て、話をして、

楽しみました。

それはきっと主人にも、もちろん二人娘にも分からない、

母と私の二人だけの、特別な感情が、確かにそこにあったように感じました。

いつまで一緒にバラ園に行けるのか分からない。

でも今は確かにバラ園にいる。

そうした思いが母と私にはあったように思うのです。

 

「今年は黄色のバラがほしい」と言っていた母ですが、

販売コーナーのバラもほとんどが売れていて、

残っているのはいかにも「残っています」といった状態のもの。

もちろんバラ園のバラですから、状態はいいのですが、

あまりにも数が少ないので、選ぶ気持ちが少し萎えました。

加えて、バラの花が終わったものが多いらしく、

あきらかにバラの花を切り取ったものが多く、

実際にバラの花を見て購入できないものも多かったです。

「実際のバラを見ずに、付加されているタグの写真だけでバラを選ぶ」

というのに少々抵抗があり、

「実際のバラを見ないで買えるかな」と母と困っていたのですが、

店員さんにバラの咲いた感じを聞いたりして、

結局バラが咲いていない茎と葉のみのバラの鉢を買うことにしました。

結構な金額なので、「母の日のプレゼント」として

母に贈ってあげました。

母の欲しかった黄色いバラの鉢。

母ととても満足げにしてくれていました。

少々予算オーバーのバラの鉢。

それでも、値段が高いということは、

おそらくきれいな花なのだろうと思うことにしました。

何事も、ものは考えようです。

ともかく母の希望が叶い、私としても満足しました。

ついでに「ペチュニアも欲しい」とのことで、

そちらもおまけで購入することにしました。

今までは自分で買っていたペチュニアの花を、

母は買うのが難しくなっているのかもしれません。

私にできることならば、してあげたいなと思っています。

こういう小さなことが、

今の母にとっては大切なことのように思えているのです。

 

今回は午前中に子供の用事があったため、

バラ園の最寄り駅で母と待ち合わせ、帰りは家まで送っていくようにしました。

バラとペチュニアを車に積んで30分ほどの距離を、

皆でドライブしました。

途中、マクドナルドでソフトクリームタイムをとり、

みんなでわいのわいのとくつろぎました。

車中も、マクドナルドでも、母から出てくるのは、

父の話ばかりでした。

「今日はお父さんの話ばっかりだったね」と、

少し自嘲気味に悪びれずに笑う母は、

それが愚痴や困りごとの、大して楽しい話ではないと百も承知で、

それでも誰かに吐き出さずにはいられなかったのだろうと思います。

一通りの父の話の後、晴れやかに笑う母を見て、

背中に背負っていた認知症の負担が、

少しだけ減ったように思えました。

だから。

忙しい合間を縫っての忙しいバラ園だったけれど、

言ってよかったなと心底思いました。

 

実家について、5分ほど座って休んでから、

自宅に帰るようにしました。

実家前の道路から曲がって私たちが見えなくなるまで、

母はいつものようにずっと手を振ってくれていました。

「先週だったかな、今から出ずにバイバイしたのは」

と、先日の疲れ切った母を思い出して、

「家の外で手を振るまでに、元気になってくれてよかった」と、

安堵して胸をなでおろしました。

 

 

今日のお昼ご飯は、病院内にあるカフェテリアにしました。

隣に鯉がたくさん泳いでいる、とても気持ちのいいカフェです。

ホテルから提供されているパンを置いているので、

何度か食べてとてもおいしかったからです。

でも実際に母と食べると、

ハンバーガーが大きすぎて食べるのが大変そうで、

ちょっと悪かったな、と反省しました。

「次はお寿司が食べたいな」との母のリクエストなので、

また来月にでも、一緒に食べに行こうと思います。

 

いつまで「来月に行こう」と言えるのか分かりません。

いつか今よりもっともっと年を取れば、

来月の約束も出来なくなる日がくるのかもしれません。

それでも。

今はまだ「来月ね」と軽く考えられています。

それは多分とてもうれしいことなのです。

 

大切なのは、過去の輝く思い出ではなく、

今の小さな日々の楽しさなのだと、

最近はそんな風に思えてきます。

若いころには分からなかった、

人生のはかなさと貴重さと面白さを、

今は良く分かるようになりました。

「時間とはいかに大切なのか」

両親の老化を見て、お世話を始めて、分かるようになりました。

この知見は私にとって、値千金なものだと言えます。

 

大切なことを教えてくれてありがとう。

大好きな父と母に恵まれたことに感謝ですね。

 

明日も良い一日になりますように☆