冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

三兄弟の奮闘、母の入院にて、その2

こんにちは、冬菜かしこです。

その1からの続きです。

 

ケアマネージャーさんとデイサービスの責任者さんと、

みなさんのご協力のおかげで、

今まで週4日だった父のデイサービスを、

「緊急時のため特例」ということで、

週6日にしてもらえ、帰宅も6時半頃にしてくれるようになりました。

そのため妹も、最初は「大丈夫、大丈夫」と言ってくれていたのですが、

一週間もたつと、父の様子が少し不安定になってきました。

 

今までは、認知症とは言うものの、

物忘れするよね、程度だったものが、

だんだん、こたつからでなくなり、

引きこもりたがるようになり、

昔の出来事を夢想するようになり、

とても支え切れる状態ではない、という風になってきました。

 

一週間頑張ってきた妹も、ついに「もう、無理!」と音を上げたので、

週末は兄に来てもらい、父のお世話を頼みました。

一泊二日でも、妹は休むことができて少し回復し、

そのあと数日は頑張ってくれていました。

 

しかし父の様子は回復することはなく、

妹も我慢の限界が来て、

「お姉ちゃん、一人でお父さんのお世話をして。

じゃないと、私、休めない!」と言われて、

それまでは、妹と二人でしていた父のお世話を、

私も妹と同様に一人ですることになり、

「それは、それは、大変しんどい認知症のお世話」

をすることになりました。

 

妹が一番大変だと言っていた深夜3時の「デイサービスに行く準備」

のための安眠妨害ですが、

私が父と二人でいる時には、深夜のそれはありませんでした。

私は常に父のそばにいて、たまに握手をして話をしてあげて、

物忘れ発言をしても「忘れてもいいよ、私が覚えておくからね」

と言ってあげて、そういう「認知症の対応策」をしていたのが、

もしかしたら功を奏したのかもしれません。

4日間実家に泊まり込みましたが、一度も深夜の「準備」がなかったので、

それは良かったなと思います。

 

その後、二人娘に泣いて懇願されて、

「おばあちゃんちに行かないで!家にいて!

お母さんがいないと、けんかになる!」

とのことで、実家に帰るのを免除してもらってからも、

どうやら父の深夜の「準備」はなくなってくれたそうです。

やはり父は父で、心の不安定さが頂点に達していたのでしょう。

「自分に優しくしてくれる」デイサービスに、行きたかったのでしょう。

なんとなく父の気持ちが、分からなくもないと、

私は思ってしまいました。

 

兄と妹に、二人娘の気持ちが不安定になっていることを伝え、

実家に行くのを免除してもらっているとはいえ、

週末、二人娘に来てもらい、泊まってもらったりはしました。

「おじいちゃん、おじいちゃん」

と小3と小5になつかれて、まんざらでもない父は、

久しぶりに笑顔を見せていました。

子供の無邪気さは最強だな、と本当に心からそう思いました。

 

交通事故から二週間経ち、

母はよたよたしながら退院しました。

実家の居間には、福祉器具のお店でレンタルした「介護用ベット」を入れ、

なんとか母の生活が出来るようにしました。

買い物もままならないだろうから、

宅配弁当も手配しておきました。

ひとまず、母が生活できるようにだけは、しておきました。

なかなか実家に行けないので、

せめて遠距離でも出来る介護をしておこうと思ったのです。

 

母が退院して実家に戻ってきたことで、

妹の精神状態も、少し落ち着きを取り戻してきました。

やはり、慣れない人が認知症のワンオペ介護をすることは、

無理があったのでしょう。

妹一人に父の介護を押し付けてしまい、

本当に申し訳なかったなと思いました。

そして今回の事を契機に、

いよいよ「老々介護の限界」を思い知ることになりました。

 

「たった二週間でも、母のいない父の介護は無理」

ということが、露呈してしまったのです。

今までは運よくかわしていた介護が、

母の入院で目の前に突き付けられて、

とてもじゃないけど無理だということが分かりました。

 

もちろん、中には老親の介護を必死にしていらっしゃる方も多いと思います。

老親本人が他人の介入を許さない性格だったり、

経済的に施設を考えられない状況だったり、

いろいろだと思います。

私の周りにも、在宅介護の話は聞くこともあります。

 

でも。

兄夫婦は、他県に住んでいて、実家で同居する意志はない。

妹夫婦は、実家の近くに住んでいるけれど、

父と母の両方を介護するのは難しい。

私達夫婦は、小3と小5の小さい子供を抱えていて、

転校させるのはかわいそうだと思っている。

それぞれに、難しいのだな、と思ってしまっています。

 

どれだけしても、多分、介護に終わりはありません。

そしてまた、正解もありません。

ただ一つ言えるのは、「自分の人生の次に、親の介護がある」ということ。

逆転してはいけないのだと思うのです。

どれだけ批判されても、どれだけ非難されても、

自分の人生よりも優先されるべき介護はないのだと思うのです。

なぜなら。

自分の人生には、自分にしかできない役回りが付いて回っているからです。

だから、介護は周りの人に頼ることが大事だし、

いろいろな行政や民間のサービスを利用することが大事なのだと思うのです。

 

そして私は思うのです。

毎日毎日、完璧な介護を続けることなど到底無理なのです。

だから、ある日突然介護が終わってしまったら、

大抵の場合は「ああ、ああしておけばよかった」などと後悔するのです。

でも。

それは当然のなりゆきなのです。

なぜなら、介護はある日突然に終わるからです。

小学校の卒業式のように「この日に卒業します」

などと、分かっていることなどないからです。

 

だから、いいんです。

「ああ、やっぱり、後悔したな」で、いいんです。

突然にやってくるサヨナラに対して、

「それでも、大好きだったよ、ありがとう」と思えれば、

それで十分だと思うのです。

 

「今日が良い日でも、明日も良い日だとは、限らない。

 今日が悪い日でも、明日も悪い日だとは、限らない。

 ならば、とりあえず前を向いて、歩いていけばいいんじゃない?」

と、そんな風に思うのです。

 

今日は一日窓の外を雨がしとしと降り続いています。

明日も雨かもしれないし、明日はからりと晴れるかもしれないです。

ひとまず今日は雨が降っています。

部屋干しの洗濯物は乾きにくいです。

花壇の花には水が行き届いています。

雨が降ることで、良いこともあれば、悪いこともある。

ひとまず、今日は雨がふっています。

それをどう感じるのかは、自分次第なのだなと、

そんなことを思っています。

 

明日も素敵な一日になりますように☆