冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】ウインドウショッピング

いつもの実家の帰り道。

バスを降りてふと、

「駅の地下に行ってみようか」

と思い立った。

 

通常は、

バスを降りても、

通常はJRと自転車で、

まだまだ長い帰宅の途を思い、

寄り道しようなどとは思わないのである。

まっすぐJRの駅まで歩き、

さっさと子供の待つ自宅へと向かうのである。

 

それでも駅地下に行こうかと思ったのは、

なぜなのか、

自分でも良く分からなかった。

ただ、ふと、そんなことを考えてしまったのだ。

 

もしかしたら、母が上機嫌で、

「ヘルパーさんがいろいろしてくれて助かる」

と教えてくれたからだろうか。

私の肩の荷が下りたようで、

少し気持ちに余裕が出来たからだろうか。

とにかく、いつもは行かない場所を、

見てみたくなったのだ。

 

何年ぶりなのか分からないほど、

久しぶりに駅の地下街に入った。

数えきれないほど見てきた風景のはずなのに、

すべてが輝いて見えた。

行き交う人も、そこにあるお店も、

何もかもがキラキラとして、

私には眩しすぎるくらい、

輝いて見えたのだ。

 

「ああ、こんな場所があったのだった」

当の昔の事のようにそう感じて、

自分がよそ者のように思えた。

こんなきらびやかなところに、

到底似つかわしくないと思った。

足早に立ち去ろう、

今の自分の来る場所じゃない、

そう思って帰ろうと思うも、

足はそちらに向かってはくれない。

 

「一周だけ見て、帰ろう」

そう自分に納得させて、

洋服のお店を見て回った。

マネキンの来ているものも、

ハンガーにかかっているものも、

どれもがイマドキの色やスタイルであった。

一つとして、ベーシックな物などない。

 

「流行発信の場所とはこういうもの」

だったことを、

うっすらと思い出す。

数年後には流行遅れになるとしても、

今しかない時間を謳歌する、

とでも決めているかのように、

次々と新しいものを求めていた

過去の自分を思い出す。

 

「ああ、そうだったなあ」

恥ずかしいような、

誇らしいような、

そんな複雑な心境で、

くるくると流行発信を見て回ったのだ。

 

ほんの十数分のウインドウショッピングだったように思う。

それでも気分は十分、晴れやかだった。

こんな風に、自分の境遇を忘れて洋服を見て回ることなど、

しばらくなかったように思う。

 

もちろん、ユニクロだとか、シマムラだとか、イオンだとか、

洋服を見ることはある。

たまには買うことだってあった。

しかし、駅の地下街の洋服屋は別格なのである。

手触りの良い高級な生地、

ひと目見て美しいと思う色味、

今はこれが流行なのだろうと思わせる目新しい形。

どれもが洗練されていて、

とうてい、今の自分の、

専業主婦のお財布では手が出ない、

そんな洋服が並ぶ場所なのだ。

 

一通り、見終わった後、

JRの駅に向かった。

気分は高揚していた。

今まで見てきたものが夢なのではないかと、

改札をくぐる時には、そう感じていた。

それほど、非日常の空間であった。

 

「また来たい」

そう思った。

「こんな洋服を、試着出来たら素敵だろうな」

そう思った。

でも、今は。

その可能性は極めて低い。

 

なぜなら、専業主婦であり、

二人娘の母であり、

洋服よりも大切なものがたくさんあるから。

洋服を買うという気分転換よりも、

もっともっと気分転換になるものが、

今の私にはあるから。

でもきっとそれは、

「いつでも、帰る。いつでも、着れる」

そう思っているからかもしれない。

 

そして。

ふと。

実家の母の洗濯物を干している時のことを思い出した。

質素な肌着と靴下。

私が買ってあげた、きれいな色の洋服2枚。

そして母が買った、薄手の安価な洋服4枚。

 

足の弱くなった母は、おそらく、

一人で買い物に行き、

洋服を買うことなど出来ないだろう。

駅地下のファッションのお店にあるような、

きらびやかな洋服を自分で選ぶことなど、

考えもしないだろう。

 

でも。

今はまだ、自分の好きな洋服を着たい、

という気持ちが母にあるなら、

着てほしいなと思ったのだ。

母が一人で買いに来れないのなら、

私が手伝って、一緒にお買い物に行って、

洋服を選びたいなと思ったのだ。

 

駅地下には行けないにしても、

実家近くの中規模ショッピングモールに行き、

一緒に洋服を選ぶことはできる。

 

「まだ、79歳だもの。

好きな洋服を選んだっていいじゃない。

きっと気持ちが上むくよ。

遠慮ばっかりしていないで、

一緒に買いに行きましょうよ」

 

もう少し、実家の父の様子が落ち着いたら、

出来れば近いうちに、

一緒に買いに行きたいと思う。

 

「親孝行、したい時に親は無し」は、

いやなのである。