母との口げんかなど、
いつものことである。
大抵は、お金がらみで、
仕送りすれば介護をほぼ免除される兄と、
片道2時間かけて実家にきて労働奉仕する妹の私とで、
それは不平等だと訴えて、
母を困らせるのである。
たくさんの仕送りから、
いくらかでも包んでもらえれば、
少しは納得がいく。
昨年の母の入院中での、認知症の父の介護も、
今年の父母のコロナ後遺症(ワクチン無し)の看護も、
有償ボランティアならば、
やったるでい、となるものを。
すべてが無償ボランティアとなると話は別である。
精神的にきっついねん、となるのである。
今回はケアマネージャーさんをはさみ、
母も私も大討論であった。
しかし何も結論は出ないまま、
ケアマネさんのタイムアップとなり、
自動的に母も私も休戦せざるをえなくなった。
ケアマネさんが帰った後、
何もなかったように、
「お昼ご飯できたよー」
という母に、わずかなイライラを感じて、
「今は食べない」
と答えた私。
50歳過ぎて反抗期かよと思いつつ、
体から出るイライラオーラは隠せない。
居間に運んできて、チャーハンと煮魚とお茶までついた、
きちんとしたレンチンご飯。
今の母の精いっぱいのおもてなしだと思うけど、
一度曲げたへそは、そうかんたんには直らない。
ぷいっと、ふくれっ面を見せて、
二階に逃げ込んだのである。
おそらく母は一人で、
昼食をとったはずである。
「私は悪くない。
母が悪いのだ。
毎度毎度、兄の仕送りを、
ゆるりと使い切ってしまう母が悪いのだ。
ちょっとは学習すればいいのに、
わずかな汚れを大騒ぎして、
すぐに買い替える母が悪いのだ。
食器も、タオルも、下着も、シーツも、床マットも。
うちではなぜか使い捨てのごとく、
毎度毎度、新品になってしまう。
だから、母が悪いのだ」
二階でひたすら母への悪態を心で呟いて、
なんとか自分を正当化しようとする。
それで自分の気分が晴れると信じているから、
何度も何度も不毛なセリフを吐き続けるのだ。
しかし、一方で、
それが無意味なことも分かっているのだ。
いくら言っても、79歳はもう変わらない。
それは、いやというほど、分かってもいるのだ。
情けない。
50歳代の娘が、79歳のご老人を責めてどうする?
えんえんとつづくアリ地獄のような気分を引きずって、
恨めしい表情で時間が過ぎるのを待っていた。
いつもの帰宅時間の、14時半になったら、
速攻で帰宅しようと思っていた。
「もう、お昼ご飯は食べない」
そう決めて、一人ストライキをしていると、
窓の外に雨が降ってきたのが分かった。
それも、ちょっとやそっとの雨量ではなさそうだ。
そういえば、今日の天気予報は雨だった。
山の学校に行っている次女が、
午後2時過ぎには下校する予定なのだ。
今日は、それが分かっていながら、
無理を押してきた実家だったのだ。
次女にも事情を説明して、
協力を仰いでの、今日の実家通いだったのだ。
それなのに。
ケアマネさんをはさんで、母と30分以上もの口げんか。
二階に上がってからは、一人で母への愚痴のオンパレード。
そして今、窓の外は、雨脚が激しくなりそうな曇天。
まだ12時台であり、いつもの時間にはまだまだある。
しかし。
「もう、帰ろう」
そう決心して、母に告げた。
「もう帰るわ。サヨナラ」
介護ベットの母は、背中を向けたまま、
「ああ、うん」
とだけ、力なく言った。
いつものように庭先に出て見送ることはなかった。
疲れさせたのか。
傷つけたのか。
その両方か。
いずれにせよ、いつもと違う母の様子に、
申し訳なさが胸に押し寄せる。
今すぐ走って行って、
悪かったと言えば、
許してもらえるだろうか。
しかし足は一向に止まらない。
バス停へと一直線に向かっているのだ。
介護の事で、兄と衝突することはよくあることだ。
たまには、母にも強く言うことはある。
しかし今回のように、介護ベットの背中越しのサヨナラは、
いままでほとんどなかったように思う。
さすがに、こたえた。
後日、用事があり電話して、そのついでに、
「あんまり、お金を無駄遣いしては駄目だよ。
シーツとか、バンバン買い替えるばかりじゃだめだよ」
と、また言ってしまった。
すると母は気を悪くして、最後は無言となり、
途中で電話を切った。
その数日後、またも電話したい用件ができて、
電話をした。
先日、母から電話を切られたことなど、
おかまいなしだ。
しかし。
さすがに母も私のお説教に嫌気がさして、
「来週の金曜日は来なくていいよ」
と言ってきた。
娘の遠慮のない物言いに、
ほとほと嫌気がさしたに違いない。
しかし、私も譲らない。
「祝日だから、○○(次女)と行くよ。
金曜日は行くって決めているから」
ほかの選択肢はないぞとばかりに、
きっぱりと私がそういうと、
しばらくして、
「分かった」
と母が折れた。
やや根負けの感があるが、
この際多少の事は気にしない。
私の勝利。
孫を連れての訪問は、
やはり邪険にはできないのだと悟った。
嫌な顔をされても、
迷惑がられても。
それが本心なのかどうかは、
他人には分からないのだ。
その真偽のほどを見極めることが出来るのは、
やはり、親子なればこそ。
たまには外すこともあるが、大抵は、
いやよいやよも、好きのうち、
という昔のフレーズのように、
強がっているという事が、
わかるものなのだ。
目に見えない力。
それが親子というものだ。
「毎週、金曜日は実家に行く。ただし暴風波浪警報をのぞく」
どんなに他の用事が入りそうになっても、
金曜日は確保しておく。
どんなに魅力的なお誘いがあっても、
誘惑に負けずお断りをする。
どんなことがあっても、
母の期待を裏切らない。
もうすぐ80歳の母を、
私はどうしても手放すことができない。
そういうことなのだ。
そのくらいの気概があればこそ、
「親子の絆」と呼べるのだ。
そのくらいの気概がなければ、
「知り合いの絆」くらいなのだ。
暑苦しいおせっかいだと言われようと、
私は勝手に一人で決めている。