冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】母との口げんか

母との口げんかなど、

いつものことである。

 

大抵は、お金がらみで、

仕送りすれば介護をほぼ免除される兄と、

片道2時間かけて実家にきて労働奉仕する妹の私とで、

それは不平等だと訴えて、

母を困らせるのである。

 

たくさんの仕送りから、

いくらかでも包んでもらえれば、

少しは納得がいく。

 

昨年の母の入院中での、認知症の父の介護も、

今年の父母のコロナ後遺症(ワクチン無し)の看護も、

有償ボランティアならば、

やったるでい、となるものを。

すべてが無償ボランティアとなると話は別である。

精神的にきっついねん、となるのである。

 

今回はケアマネージャーさんをはさみ、

母も私も大討論であった。

しかし何も結論は出ないまま、

ケアマネさんのタイムアップとなり、

自動的に母も私も休戦せざるをえなくなった。

 

ケアマネさんが帰った後、

何もなかったように、

「お昼ご飯できたよー」

という母に、わずかなイライラを感じて、

「今は食べない」

と答えた私。

 

50歳過ぎて反抗期かよと思いつつ、

体から出るイライラオーラは隠せない。

居間に運んできて、チャーハンと煮魚とお茶までついた、

きちんとしたレンチンご飯。

今の母の精いっぱいのおもてなしだと思うけど、

一度曲げたへそは、そうかんたんには直らない。

ぷいっと、ふくれっ面を見せて、

二階に逃げ込んだのである。

おそらく母は一人で、

昼食をとったはずである。

 

「私は悪くない。

母が悪いのだ。

毎度毎度、兄の仕送りを、

ゆるりと使い切ってしまう母が悪いのだ。

ちょっとは学習すればいいのに、

わずかな汚れを大騒ぎして、

すぐに買い替える母が悪いのだ。

食器も、タオルも、下着も、シーツも、床マットも。

うちではなぜか使い捨てのごとく、

毎度毎度、新品になってしまう。

だから、母が悪いのだ」

 

二階でひたすら母への悪態を心で呟いて、

なんとか自分を正当化しようとする。

それで自分の気分が晴れると信じているから、

何度も何度も不毛なセリフを吐き続けるのだ。

しかし、一方で、

それが無意味なことも分かっているのだ。

いくら言っても、79歳はもう変わらない。

それは、いやというほど、分かってもいるのだ。

情けない。

50歳代の娘が、79歳のご老人を責めてどうする?

えんえんとつづくアリ地獄のような気分を引きずって、

恨めしい表情で時間が過ぎるのを待っていた。

いつもの帰宅時間の、14時半になったら、

速攻で帰宅しようと思っていた。

 

「もう、お昼ご飯は食べない」

そう決めて、一人ストライキをしていると、

窓の外に雨が降ってきたのが分かった。

それも、ちょっとやそっとの雨量ではなさそうだ。

そういえば、今日の天気予報は雨だった。

 

山の学校に行っている次女が、

午後2時過ぎには下校する予定なのだ。

今日は、それが分かっていながら、

無理を押してきた実家だったのだ。

次女にも事情を説明して、

協力を仰いでの、今日の実家通いだったのだ。

 

それなのに。

ケアマネさんをはさんで、母と30分以上もの口げんか。

二階に上がってからは、一人で母への愚痴のオンパレード。

そして今、窓の外は、雨脚が激しくなりそうな曇天。

まだ12時台であり、いつもの時間にはまだまだある。

しかし。

 

「もう、帰ろう」

そう決心して、母に告げた。

「もう帰るわ。サヨナラ」

介護ベットの母は、背中を向けたまま、

「ああ、うん」

とだけ、力なく言った。

いつものように庭先に出て見送ることはなかった。

 

疲れさせたのか。

傷つけたのか。

その両方か。

いずれにせよ、いつもと違う母の様子に、

申し訳なさが胸に押し寄せる。

今すぐ走って行って、

悪かったと言えば、

許してもらえるだろうか。

しかし足は一向に止まらない。

バス停へと一直線に向かっているのだ。

 

介護の事で、兄と衝突することはよくあることだ。

たまには、母にも強く言うことはある。

しかし今回のように、介護ベットの背中越しのサヨナラは、

いままでほとんどなかったように思う。

さすがに、こたえた。

 

後日、用事があり電話して、そのついでに、

「あんまり、お金を無駄遣いしては駄目だよ。

シーツとか、バンバン買い替えるばかりじゃだめだよ」

と、また言ってしまった。

すると母は気を悪くして、最後は無言となり、

途中で電話を切った。

 

その数日後、またも電話したい用件ができて、

電話をした。

先日、母から電話を切られたことなど、

おかまいなしだ。

しかし。

さすがに母も私のお説教に嫌気がさして、

「来週の金曜日は来なくていいよ」

と言ってきた。

娘の遠慮のない物言いに、

ほとほと嫌気がさしたに違いない。

しかし、私も譲らない。

 

「祝日だから、○○(次女)と行くよ。

金曜日は行くって決めているから」

ほかの選択肢はないぞとばかりに、

きっぱりと私がそういうと、

しばらくして、

「分かった」

と母が折れた。

やや根負けの感があるが、

この際多少の事は気にしない。

私の勝利。

孫を連れての訪問は、

やはり邪険にはできないのだと悟った。

 

嫌な顔をされても、

迷惑がられても。

それが本心なのかどうかは、

他人には分からないのだ。

その真偽のほどを見極めることが出来るのは、

やはり、親子なればこそ。

 

たまには外すこともあるが、大抵は、

いやよいやよも、好きのうち、

という昔のフレーズのように、

強がっているという事が、

わかるものなのだ。

目に見えない力。

それが親子というものだ。

 

「毎週、金曜日は実家に行く。ただし暴風波浪警報をのぞく」

 

どんなに他の用事が入りそうになっても、

金曜日は確保しておく。

どんなに魅力的なお誘いがあっても、

誘惑に負けずお断りをする。

どんなことがあっても、

母の期待を裏切らない。

もうすぐ80歳の母を、

私はどうしても手放すことができない。

そういうことなのだ。

 

そのくらいの気概があればこそ、

「親子の絆」と呼べるのだ。

そのくらいの気概がなければ、

「知り合いの絆」くらいなのだ。

 

暑苦しいおせっかいだと言われようと、

私は勝手に一人で決めている。