冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】小学生の娘にとっての新盆

先日、主人の実家に帰省してきた。

義理の妹さんとは予定が合わず、

うちの家族だけの帰省となった。

義理の両親は他界していて、

今回は新盆での帰省となった。

 

コロナが流行る前、毎年毎年、

家族で帰省していたのだ。

義理の両親の体調がすぐれなかったり、

雪の降った時などは、

帰省をしない時もあったが、

大抵の場合、

大型連休とお盆とお正月には、

きちんと帰省して、

孫と触れ合ってもらっていたのだ。

 

でも今回二人娘に聞いてみると、

思った以上に、

祖父母との思い出が少なく、

少々残念に思う。

 

「おばあちゃん、お人形の、頭からやわらかい飴がでるやつ、買ってくれた」とか、

「おじいちゃん、いっつもこの椅子に座っていた」とか、

「一緒にお買い物に行った」とか。

そんな程度。

その情報量の少なさに、

軽くショックを受けて、

「他にはない?何か思い出ない?」

と聞きまくるも、あまり覚えていない様子。

 

無理もない。

コロナの流行する前は、

長女は小2、次女にいたっては幼稚園の年長さんだったのだから。

そんなにしっかりと覚えているはずもない。

仕方ないなと思いつつ、

どうしてもっと早くに結婚、出産しなかったのかと、

珍しく悔やんでみたりもした。

 

でもどうやったって、

過去には帰れないのだし、

大切なのはこれからだと、

そんなふうに思い始めた。

自分にどうしようもないことを考えても、

プラスの思考にはならないように

思えてきたのだ。

 

二人娘にとって祖父母の思い出が少ないなら、

その思い出を大切に覚えておいてあげようと思った。

二人が忘れても、私が覚えていて、

教えてあげようと思った。

そして同時に、二人がすでに忘れている思い出に関しても、

教えてあげようと思った。

どんなに祖父母が子供たちに優しくしてくれたかを、

教えてあげようと思った。

 

二人が気に入っていたサンリオのリュックはおばあちゃんが

宅配でおくってくれたものだということ。

それは次女がスーパーで手提げを忘れてみんなで大慌てしたから、

祖母が気を利かせて、

「リュックなら忘れないでしょ」と送ってくれたのだということ。

 

庭のさつきが大きくなってとても迫力があったから、

白とピンクの大きなさつきの前で、

まだ小さかった長女や次女をおじいちゃんがだっこして、

写真を撮ってほしいを言われて撮ったこと。

バケツとスコップの砂遊びセットを用意して、

私達家族の帰省を心待ちにしてくれていたこと。

老人ホームに入ってからも、

お正月に面会に行くと、二人にお年玉をくれたこと。

全部をすぐに話せるわけではないけれど、

折りに触れて、思い出したことを、

伝えていきたいと思う。

 

そしてまた、これからの日々で、

祖父母のいない家ではあるけれど、

曽祖父が建てて、祖父母が受け継いだ家を大切に守り、

時々、住まわせてもらいたいと思っている。

そうして、新しい思い出を、

この家で作っていきたいと思っているのだ。

 

長女が言った

「おばあちゃんの家、お庭が広いから好きー」

との言葉。

その気持ちを大切にしてあげたいと思うのだ。

庭も家も、昔の人が建てた、

のんびりした広々としてものだ。

今住んでいる家よりずっと、

のびのびとした間取りと敷地になっているのだ。

それが小学生の二人にとっては、

ちょっとした息抜きのようになっているような

気がするのだ。

ならばここでこれから、

祖父母はいないけれど、

家族四人で新たな思い出を刻んでいくのも、

素敵なことなのではないかと思っている。

 

私の子供の頃、

おばあちゃんの家は楽しいものだった。

畑に野菜を取りに行ったり、

家の隣の空き地で遊んだり。

宿題からも、習い事からも解放されて、

すべての時間がのんびりと過ぎていくあの日々は、

今では考えられないほどに、

ゆったりと流れていったものだ。

 

おばあちゃんと叔父夫婦、そして小2くらいからはいとこが出来て、

にぎやかなものだった。

絵本も多くあったので、それを楽しく読んでいた。

いとこたちと縁側で、とれたてのスイカをかじりついたりもしたのだ。

黄色いスイカにテンションがあがったり、

イカの種飛ばしで競ったり、

それはそれは、昭和の夏の風物詩的なことをしたものだ。

令和の今は、祖父母も田舎暮らしとはかぎらないし、

核家族の延長線上の祖父母なら、

老々介護と言った状態のところも少なくないように思う。

それでも、きっと、小学生時代の夏休みは、

子供たちの心に、

なにかわくわくしたものを残してくれるように思うのだ。

 

祖母が使っていた台所で、

大きなダイニングテーブルで食事をし、

祖父の座っていた大きな一人椅子や三人掛けソファで、

絵を描いたり本を読んだりテレビやゲームを楽しんだり。

きっと自宅では味わえない違った空気感で、

子供たちはなんともいえない「なにもない時間」を

楽しむことができるのだと思うのだ。

 

ふとした瞬間に、

「このにぎやかな小学生二人を、

義理の両親にも見せてあげたかった。

そして、二人にも、

おじいちゃん、おばあちゃんと過ごす夏休みを、

体験させてあげたかった」

と思ったりもする。

それは胸がきゅっとなり、やるせない気持ちにもなる。

それでも時間はもどらない。

今この瞬間に、夏休みを過ごしている二人娘に、

今ならではのことをさせてあげること。

それが私の母としての役目のように思えてくるのだ。

 

今は覚えていなくても、

「優しくされた記憶」は、

体のどこかに残っていて、

彼女たちの心のどこかに、

あたたかいものを与えてくれているのだと、

そんな気がする。

ならば覚えていない幼いころの記憶も、

きっと何か意味があるのだと、

そんな風に思うのだ。

 

ありがとうの気持ちをこめて。