冬菜かしこの「のんびり ゆっくり 親孝行」の日々

70歳代後半の親と50歳代前半の娘のゆるい介護のような親孝行の記録です

【エッセイ】母の手料理、コロダイの煮つけ

お天気が悪くても、金曜日は実家に帰省し、

母のお手伝いをすると約束している。

 

「そんなに、がんばらなくていいよ」という母に抗議し、

役に立っているなら言ってほしいと、頼んでからはや半年ほどが経った。

最初こそ、なかなか言葉にしてくれなかった母だったが、

ここ最近はちゃんと口にしてくれるようになった。

 

今日は床の拭き掃除と掃除機かけと皿洗いとお米を炊いた。

そのくらいですが、母はしっかりと、

「今日はお皿も洗ってもらったし、お米も炊いてもらったし、助かったわ」と。

少しオーバーかもしれませんが、日ごろあまりおべんちゃらを言わない母。

その母の精いっぱいのほめことばは、出来るだけ深読みせず、

額面通りに受け取ろうと思っている。

 

以前、自前のお弁当を持ってきていた私だが、

ここひと月ほどは、手ぶらで行くことにしている。

お弁当を用意して遅くなるより、

早く来て、少しでも長くいっしょにいてあげようと思っていることがひとつ。

もうひとつは、母と一緒に同じものを食べる、もしくは、

母の作った昨夜の残り物を片付ける、ということ。

いずれにせよ、母があーでもないこーでもないと頭を使ってくれるのが、

良い事のような気がしているのだ。

 

そんな今日のお昼ご飯は、母は余っていためざしを焼いて、

お総菜コーナーで気になった鶏軟骨唐揚げ。

私は母の手料理のコロダイの煮つけ。

コロダイは2尾あったのですが、ひとつは父の夕食用だとのこと。

私が食べていいのかな?とも思ったのだが、

私がおいしくいただくのが、母への孝行のような気がして、

ありがたくいただくことにした。

 

久しぶりの魚の煮つけ。

本当に体にしみわたる優しい味で、おいしかった。

独身時代は、父が魚釣りをして釣ってきた、ちぬ(クロダイ)などを、

煮つけや唐揚げに、良く料理してくれたもの。

新鮮なその魚はとてもおいしく、

少々ちいさい魚もありつつ、

皆で楽しく食卓を囲んだものだ。

懐かしい思い出。

 

あのころはこんな風に父が認知症になる日がくるなどとは、

夢にも思わなかったもので、

自分の希望が叶わない出来事があると、

そればかりを見て、がっかりしたり、落ち込んだりもしたもの。

家族が一緒においしく夕食を食べることがとてもありがたいことなどとは、

全く思いもしなくて、ただただ自分のことで精いっぱいだった若かりし頃。

それが若者だと言ってしまえばそれまでだが、

過ぎた日々を思うと、

その時間の無駄遣いに、

大切な優しい時間への無頓着さに、

涙が出そうになるのだ。

ああ、どうして。

もっと優しくしてあげなかったのだろうかと。

後悔してもなにも変わらないのに。

 

そしてそんな父は今日も今日とて、

とんちんかんな会話を繰り広げ、

話を繋げない私はただただ、

「そうだね」「そうかー」「そうなん」

などと相槌をうちながら、

にこにこ笑って聞いていた。

時に手をつないで。

時に手をさすって。

父の心に届くようにと、

父の心があたたかくなるようにと

今の自分にできることをしていった。

 

母は、私が来ている時は、

出来るだけ父から逃げようとする。

毎日一緒にいると、

煮詰まってしまうのだろう。

その気持ちも分かります。

そして。

そんな母の気持ちも知らず、

父は父とて、母をおっかけて、

台所から居間にくっついていく。

はあー(母のため息)。

 

母の疲れた様子を見ると、

父から離してあげたいのだが、

今は父と母と私と3人でお茶した方がいいと思うので、

無理のない範囲で、

母に「お父さんと一緒にお茶しよう」と提案する。

なぜなら、そうして父の機嫌を取っておくことで、

私が帰宅したあとの父の行動が、

おとなしくなってくれるから。

私なりに分析した結果なのだ。

 

ここ二年程実家帰省をして、家事手伝いをして、

いまだによくできているとは思えない、

大したことない手伝い。

それでもきっと、ゼロではない。

そう思うから、やれている。

どこまで出来るか。

それは私にも分からないけれど。

いつか納得のいく着地点が見えることを信じて。

今はぼちぼち低空飛行。

胸にはちいさな希望の灯を照らして。

行けるところまで。

行ってみようと思っている。